慶応4年(1868)正月3日から4日にかけて戦われた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、幕府、会津の思わぬ惨敗だった。
 決定的な敗因は、戦いの最中に将軍徳川慶喜(よしのぶ)と会津藩主松平容保(まつだいらかたもり/1835-93)が大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ったことだった。
 死を賭(と)して戦っているときに最高指揮官が敵前逃亡したことは、稀有(けう)の不祥事であり、その衝撃は大きかった。
(『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇星亮一

日本近代史
 正しいヒントさえ見つけることができれば自分にも解ける謎であるかのように、海岸線の風景を隅々まで見ようと振り返った。(『黄昏に眠る秋』ヨハン・テオリン:三角和代訳)
 新垣(三郎)氏は、1945年(昭和20年)、サイパン島で2件の殺人を犯し、死刑の判決を言い渡されたひとである。およそ9年、獄につながれ、奇(く)しくも命ながらえて、一転、神の福音をのべつたえる牧師となった。(『地獄の虹毛利恒之
 天皇家だとか藤原家といったごく特殊な例を除いて、今日の日本社会を構成している一般市民の家は、99パーセント以上の確率で歴史的に自分の祖先をたどってさかのぼりうるのは江戸時代初期まで、もう少し無理をしても戦国時代末までなのである。(『江戸時代大石慎三郎

江戸時代
 だが、これらの見解は歴史的事実に反する。削除された×と○を残さぬ“残酷でスマート”な検閲は、残念ながらアメリカ軍によって発明されたのではなくて、天皇の特高警察によって昭和11年秋ごろから計画され、昭和14年ごろには完成した方法である。アメリカ占領軍は、その天皇制特高の“残酷でスマート”な方法を真似したにすぎない。(『占領下の言論弾圧』松浦総三)

日本近代史
 その延長線上に、それでもなぜ戦争は起こるのか、それを研究する立場の人たちがいます。これはリアリズム(現実主義)という立場の人たちです。そのリアリズムの範疇(はんちゅう)に地政学というものもあるわけです。地政学というのは、地理的な概念の上に展開されていく国家の政治軍事戦略を研究する学問で、それぞれの国が何を考えているのか、例えば、国家と国家の、国境線近くには常に活断層と言ってもよい危険が存在する。その活断層はどういう条件のときに活動して戦争をもたらしてきたか、それらを歴史的な具体的事例にもとづいて常に考察し理論的に体系づける、将来を展望する学問です。(『日本人が知らない地政学が教えるこの国の針路菅沼光弘
菅沼●アメリカの本当の国防政策はどこで決まるのか。実は、これはペンタゴンではない。実質的には財務省なんです。もっと言えば、財務省の裏にいるウォールストリートが決めるんです。(『NIPPON消滅の前にこれだけは知っておけ! サバイバル・インテリジェンス菅沼光弘、北芝健、池田整治
 永遠なるものの理念をことばで理解することはできないし、記述することさえ不可能である。だが芸術にはそのことを可能にする。芸術はこの無限なるものを感得できるものにする。絶対的なるものを捉えることのできるものは、信仰と創造行為のみである。(『映像のポエジア 刻印された時間』アンドレイ・タルコフスキー:鴻英良訳)
「天皇陛下が降伏の命令を出されるのだろうから、日本人として従うしかないだろう。しかし安心しなさい。陛下は退位させられるかも知れないが、その場合は摂政を置けばよい。日本は絶対に亡びない。暫くは占領されるだろうが、独立も回復できる。しっかりやりなさい」(『革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯稲垣武

日本近代史藤原岩市ガンディー
「日本軍を指揮した柴(五郎)中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊富であったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞讃の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」ピーター・フレミング(『北京燃ゆ 義和団事変とモリソンウッドハウス暎子

日本近代史
 もっとも重要なことは、軍閥が、その縁故的人事や内輪の決定を通じて軍内政治を支配しただけでなく、それが正院・内閣の文民政治家や元老などと密接な連絡を保ち、軍外の政治過程に大きな影響を及ぼしたことであろう。周知のごとく軍閥は、雄藩出身の政治家を長とする官僚集団=「藩閥」の一部を構成し、その政治力の裏づけとなった。
 政党政治の時代になり、山県有朋〈やまがた・ありとも〉のような藩閥政治家が姿を消した後も、新たなリーダーを求めて、むしろ軍内抗争は激しくなり、それが日本全体の政治を左右した。このように第二次世界大戦以前の日本においては、多くの政治の変動が軍内の抗争と連動して起こっており、他方、軍制は必ずしも純粋に軍事合理的な理由では作られず、何らかの政治目的に従属して操作された可能性があることを忘れてはならない。(大島明子)
(『日本の軍閥 人物・事件でみる藩閥・派閥抗争史』)
美子●(藤原)咲平さんはお天気ばかりではなく、色々なエピソードがあるそうね。

正彦●戦争中、陸軍に協力して風船爆弾を作った。千葉県や茨城県の海岸から、1万発ほどの風船爆弾を、時速100キロにも及ぶジェット気流に乗せて飛ばしたそうだ。この気流の厚さはたった数キロなので、直径10メートルの風船が昼と夜の気温差などにより、この帯から出ないような精巧な工夫をしたんだよ。風雨に打たれても大丈夫なように、和紙に渋柿でコーティングしてね。1割ほどはアメリカまで届いて爆発したらしい。

(『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩藤原正彦藤原美子
「だから、おまえは消えてしまってはだめだ。だからこそ、おまえはこれを乗り越えて、戻ってきて、元気になってくれ。おまえの人生がバラの花の上で踊るような楽しいものではないことは知っている。おまえが人生を粗末に扱っていることも知っている。まるで自分などなんの価値もないというように。だがそうではない。そう思うのは正しくないんだ」(『緑衣の女アーナルデュル・インドリダソン柳沢由実子訳)
「演歌」という語が1960年代(むしろ昭和40年代というほうが正確でしょう)に音楽産業の中で一つのジャンルとみなされてゆく過程と、それが「真正な日本文化」として高い評価を得てゆく過程は相関しています。というよりむしろ、ある種の知的な操作を通じて「演歌」というものが「日本の心」を歌う真正な音楽ジャンルとして新たに創り出されたのです。(『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島祐介)

音楽
 モリソンが日本を訪問し、桂太郎首相の公邸を訪れた際、首相はモリソンの籠城記に触れ「日本を世界に知ってもらうのに大きく役立ちました」と礼を述べたのに対して、「……私は、柴中佐指揮下の日本兵の働きを、ただありのままに記録し発表しただけなのですから」とモリソンは応(ママ)えたという。(『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子)

柴五郎
 不健康なやり方で子どもをコントロールしてばかりいる親は、気づかぬうちに子どもの心に地雷を埋め込んでいる可能性があります。その子どもは、いつ爆発するかわからない危険を感じながら、綱渡りの人生を生きることになるかもしれません。そして大人になってもなお、人を愛したり、何かに成功したり、安心して暮らしてもかまわないのだと“許可される”のを待っているかもしれません。その許可は自分が与えればよいということがわからないのです。(『不幸にする親 人生を奪われる子供』ダン・ニューハース:玉置悟訳)

虐待
 解放への鍵を探しているなら、悪い知らせと良い知らせがある。
 悪い知らせ――解放への鍵など存在しない。
 良い知らせ――扉に鍵はかけられていない。
(『ホームには誰もいない 信念から明晰さへ』ヤン・ケルスショット:村上りえこ訳)
【食事制限のみに頼った無茶なダイエットは、「寝たきり」になるのを早めます。】もしこうしたダイエットを過去に何度も繰り返してきたのであれば、どんなに若かろうとも“自分はもうすでに「寝たきり予備軍」になっている”という自覚を持ったほうがいいでしょう。(『寝たきり老人になりたくないならダイエットはおやめなさい 一生健康でいられる3つの習慣久野譜也
「でもオレはね、感謝しているの。だって、この病気にならなかったら、いまごろ何をしているのかと思うと、いまのオレでなければ、みなさんと会ってお話することはできないわけだからね」(韓国新羅大学の特別授業で)『てっちゃん ハンセン病に感謝した詩人』権徹

詩歌
 まず「第一次産業」から「第三次産業」をおさらいすると、
 第一次=農業・牧畜・漁業
 第二次=食品加工などの製造業
 第三次=小売り業、サービス業など
 これらをすべて1社で行うことを、「一」+「二」+「三」で「六次産業」といいます。業務スーパーはまさにこの六次産業を国内最大規模で行っているのです。
(『業務スーパーに行こう!』株式会社エディキューブ)
(宮沢)賢治は、風の中を大股で歩きながら詩をつくるのが好きだった。首からペンをぶらさげて、いい文句が浮かぶと書きつけ、ときどき「ホッホウ」と叫んでとびはねた。(『声に出して読みたい日本語 1齋藤孝

言葉文学
「(※静岡市の)次は八王子市で(※名誉市民証号授与の工作を)できないか。あちらに、学会の本山をつくって、将来、創価市としたい」(『闇の帝王、池田大作をあばく』山崎正友)
「改憲」は、「1946年に日本人は天皇を守れなかった」という歴史を意志的に固定する行為になってしまいます。それは将来の日本人の「国防の意志」に対して、ぬぐうことのできない汚損(おそん)を刷り込むでしょう。日本人によって一度演じられたそのような全面敗北は、将来また、起こしてやれるはずだと、外国人にも期待をさせてしまうでしょう。(『「日本国憲法」廃棄論兵頭二十八

憲法日本近代史
 朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如(ごと)く無謬(むびゅう)というわけだ。
ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタプライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
 朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘(すけひろ)・東大教授が書いていた。
 南京大虐殺従軍慰安婦沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。
(『変見自在 スーチー女史は善人か高山正之
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのではくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりすることを厳に慎しまねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって闘うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」(『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市)

大東亜戦争日本近代史チャンドラ・ボース
 共産党は、東京裁判の結果をそのまま受け入れ、「戦争をした日本は悪い国だった」と断罪し、日本の歴史や伝統を吟味することなく否定してきた。また、防衛については考えを二転三転して、アメリカ軍や自衛隊についてもただただ反対しているだけである。(『日本共産党と中韓 左から右へ大転換してわかったこと筆坂秀世
 人ひとりの心の中には、「私心」と「公心」の両方が併存している。赤紙を受け取った瞬間、当然ながら「嫌だ、行きたくない」という感情だって湧いたはずである。そして内心には、大変な葛藤があっただろう。当然ではないか。まだ20歳代で、本来ならこれからの人生に大きな希望が広がっていたはずなのだ。しかも当時の家族の絆は現在とは比べものにならないほど強く、情は深い。自分が先立ってしまったら、残された父母がどれだけ悲しむかは容易に想像がつき、それを考えただけでも、身を裂かれる思いをしたであろうことは間違いない。
 しかしながら、家族に宛てた遺書をしたためるに当たっては、そのような葛藤にすべてけりをつけ、覚悟を決めて、「公心」だけを記している。そして最後に、父母兄弟に告げるのである、「泣かずにほめて下さい」と。
 この簡潔な文章の行間に、どれだけ複雑な心情が入り込んでいるか。それは百万言を費やしても到底表現できるものではない。
(『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選小林よしのり責任編集)

戦争日本近代史
 ヨーロッパの町並みを思い出してみてください。都市は、石で埋め尽くされています。
 荘厳な聖堂、途方もなく巨大な城、豪華な教会、そして美しくつらなる家並。それら建物はもちろんのこと、道路、橋、水道というインフラまでも、すべて石で出来ているのです。
 まさに石こそ国家の要、石こそ国の最重要素材でした。石工がいなければ、城壁ひとつ作れないのですから、石工の「マスター」(親方)は重要人物ということになります。
(『石の扉 フリーメーソンで読み解く世界加治将一

フリーメイソン
 ふたりの隊員たちは、特攻出撃を間近にひかえて、グランドピアノを探しまわったという。おおかたの学校にはオルガンしかなかった。めずらしく鳥栖の国民学校にグランドピアノがあると聞いて、彼らは三田川から十二、三キロの道のりを長崎本線の線路づたいに走るようにしてやってきたのだった。
 ピアニストになることを夢見て学びつづけてきた青年にとって、リサイタルの一度もひらかず死ななければならないとは……。死ぬに死にきれない、無念なことであろう。今生(こんじょう)の訣別に思い切りピアノを弾きたい、という青年の思いが、公子には痛いほどわかる。
(『月光の夏毛利恒之

特攻隊
 この時代の経済でとくに記すべきことは、貨幣経済の浸透である。日宋間の交易で銭が輸入されたことはすでに記したが、日本にもたらされた【宋銭】(そうせん)の総量は2億貫にものぼるという。現在、中世考古学による遺跡の発掘から、10万枚単位で銭貨が発見されており、宋銭の数がぼう(ママ)大であったことは疑いがない。(中略)土地売買の証文を例にとると、鎌倉時代初期は米による土地売買が60%、銭による土地売買が40%だったものが、鎌倉時代末期には米15%、銭85%に変化している。(『詳説 日本史研究』佐藤信、 五味文彦、高埜利彦、鳥海靖編集)

日本史
 タマネギには、イソアリインという硫黄化合物と、アリナーゼという酵素(消化や呼吸など、体内で行われる化学反応を促進する物質)が、別々に含まれています。タマネギを切って、空気にふれることで、この2つの成分が混ざり合い、チオスルフィネートという別の物質に生まれ変わります。
 このチオスルフィネートは、ガンの発生を抑制し、ぜんそく発作をおさえ、痛みを鎮め、血糖値を下げる、と実に多くの薬効が確認されているのです。(中略)
 チオスルフィネートは、タマネギを切って、20分を経過しないとできない物質です。そして、水にさらすと流れてしまいます。
 ですから、タマネギの薬効を得るには、できるだけ断面が空気にふれるようにスライスして、20分は置いてから食べるようにしましょう。(斎藤嘉美)
(『やせる!血糖値が下がる!「タマネギ」レシピ』)

レシピ本
 密教においても本尊、「権化(ごんげ)・化身(けしん)」、「変相(へんぞう)」、の関連性は最重要の課題の一つであるが、そのインド的基調は、タントラの「教義」にあることを見なくてはならないのである。(『密教成立論 阿含経典と密教金岡秀友
 ゾウについて一般向けに話をすると、必ず訊かれることがあります。
「ゾウは死ぬとき〈ゾウの墓場〉に行くという話があるけれど、ほんとうですか?」と。
 じつは、これはゾウの密猟者たちにつごうのよい話です。たくさんの象牙とともに捕まったときに、「ゾウの墓場を発見して……」と言い訳したのです。実際にはゾウの墓場などはありません。
(『万物の死 自然の死から〈死〉を考える』小原秀雄)
宮崎●そういう懐疑的態度、ないしは批判的姿勢というのはとても大切で、むしろ仏教の本旨にそぐわしいものです。ブッダは初期教典で、自分が口にしたどんなに清らかで明瞭な見解にさえしがみついてはならない、と弟子たちを戒めています。あらゆる教説や構想は疑われ、吟味されるのが当然で、ブッダ自身の言葉だからといって宝物のように扱ったり、執着すべきではない、と。(『知的唯仏論 マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う宮崎哲弥呉智英
 TPP問題は誰の身内になるのかが問われていると考えるべきです。TPPは自由貿易原理主義だから反対という論は、事の本質がわかっていません。逆に賛成派は、TPP反対は保護主義だと主張しますが、これも自由貿易主義のドグマにとらわれている。新・帝国主義の時代においては、TPPはむしろ保護主義だからいいのです。(『人間の叡智佐藤優
 呪術とはこれら自然のなかに拡散している呪力を取り出し、集めることにほかならない。呪術師は呪文(じゅもん)や呪具を使って直接自然から呪力を抜き出したり、神霊などと一体になることによって呪力をコントロールしたりする。すなわち、呪術とはテクノロジーだったのである。そして、この意味では、科学もまた広義の呪術に含まれるといえるのである。(『呪術・占いのすべて 「歴史に伏流する闇の系譜」を探究する!瓜生中、渋谷申博)
 結局、二つの場合が考えられる。まず、人間の条件を規則で取り囲むことによって、それを安定した体系の中に固定化しようとする場合であるが、この時には、この体系からその不完全さを象徴するすべてのものを排除するために儀礼に頼ることになる。次に、規則には還元できない、絶対的な力の世界に、象徴的に身を置く場合には、もはや本来の意味での人間の《条件》は存在しなくなる。(『儀礼 タブー・呪術・聖なるものJ・カズヌーヴ:宇波彰訳)
 タミーの態度には、ほかにも変化があった。声が高くなり、髪を指先でもてあそび、口や鼻に触るという“防衛的しぐさ”を見せた。さらに、必要もないのに本題から離れた話を付け加え、無意味なおしゃべりを続け、過度に一般化するような発言(“誰でも知ってることですよね”)をした。これらは、嘘をついている人物の典型的な行動だ。(『ロードサイド・クロスジェフリー・ディーヴァー池田真紀子訳)
 さて「ブラフマン」は、『アタルヴァ・ヴェーダ』においてたたえられる最高の諸原理の一つであった。「ブラフマン」とは、元来は「神聖な知識」、そしてその言語的表現としての讃歌・呪句を意味する語であった。讃歌や呪句には、神々を喜ばせ、また人間の願いをかなえさせる霊妙な力が宿っている。「ことば」が一種の霊力をもつという考えは、わが国の「ことだま」信仰にも見られ、インドでは早くから「ことば」が神格化されて、女神ヴァーチとなっている。やがて、祭式万能の時代を背景に、祭官の発する「ことば」の霊力が重要な意味をもつようになり、「ブラフマン」はこの霊力そのものとなった。そしてついには、それが宇宙の最高原理とみなされるに至ったのである。創造神ブラフマー梵天)は、この最高原理が人格的に表象されたものにほかならない。(『世界の名著 1 バラモン教典 原始仏典長尾雅人責任編集)

バラモンヒンドゥー教
 ウィーラーの「真のビッグ・クエスチョン」は、まさに抽象的な性質のものであり、また車のバンパーに貼るステッカーに記せるほど簡潔なものだが、運転中にそれに思いを巡らせるのはお勧めできない。その中の五つは、特に際だっている。

いかにして存在したか?
なぜ量子か?
参加型の宇宙か?
何が意味を与えたか?
ITはBITからなるか?

(『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー:水谷淳訳)

ビット
「子供は哲学者だ。病院で、娘に訊かれたことがある。なぜ人間には目があるのかと。見えるようにだとぼくは答えた」
 エイナルは静かに考えている。
「あの子はちがうと言った」ほとんど自分だけに言っているつぶやきだ。
 それからエーレンデュルの目を見て言った。
「泣くことができるようにと言ったんです」
(『湿地アーナルデュル・インドリダソン柳沢由実子訳)
ジャクリー 百年戦争による農地の荒廃、軍役奉仕の過重や重税などに反発してフランスの農民がおこした反乱。農民をジャックと蔑んだ封建諸侯を襲撃する光景を描いた15世紀の写本の挿絵(さしえ)である。(『山川 世界史総合図録』成瀬治、佐藤次高、木村靖二、岸本美緒監修)

世界史
 韓国は日本に併合された屈辱があり、しかも日本と戦わずアメリカに解放してもらった国。北朝鮮は少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国。中国はほとんど日本軍とは戦わなかった中国共産党が戦後、実際に戦っていた国民党を追い出して建国した国である。
「これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権をおかし、侵略をしつづけることであろう」と筑波大学教授の吉田博司氏は喝破(かっぱ)している(産経新聞2009・5・8)。
(『日本を貶めた10人の売国政治家小林よしのり編)
 マッカーサーは相も変わらず「原住民の王]気取りで自分の理想に酔っていた。フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』(アポカイプス・ナウ)の本当のモデルはこのダグラス・マッカーサーなのである。昔、私の友人のアメリカ人が教えてくれた。あの映画の中の、東アジアの奥地で原住民たちの王になっているカーツ大佐とは、実はマッカーサーその人の姿である。元グリーンベレーであるカーツ大佐なるこの狂気の人物を本国に強制送還するか、射殺して来いという物語であった。(『日本の秘密副島隆彦

日本近代史
 日本は悪いことはしない誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が起きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
 そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
 大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
 戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)

西鋭夫日本近代史
 東京裁判は「勝者が敗者を裁くことにすぎない、ではないか」という批判に対し、裁判の設置者や検事側は「これは文明の裁きであり、侵略戦争の指導者を罰することで将来の戦争勃発を抑止し、国際社会を安全にする目的を持つ」という主旨の主張をした。敗戦という未曾有の体験をした当時の日本には、この占領者側の理窟に同調する人もいた。たとえば東京裁判の判決の翻訳団の一員であった横田喜三郎(東京大学法学部教授・最高裁判所長官・文化勲章受章者)などもそう主張していた。
 ところが、A級戦犯とされた人たちの死刑執行から2年も経たぬうちに――文学的誇張で言えば、判決文のインクもろくに乾かないうちに――朝鮮戦争が起こり、世界の多数国が参加する事態になった。その後もベトナム戦争や中近東の戦争、中印戦争、中越(中国ベトナム)戦争など、小さい戦争を数えれば実に多い。東京裁判に参加した判事の国の間で戦争しているのだから世話はない。つまり東京裁判は「文明の裁判」ではなく、単なる「勝者の裁判」であったにすぎないことは実証済みだ。
(『『パル判決書』の真実渡部昇一

パール判事日本近代史
 シャノン情報理論によって、情報と不確実性のあいだに橋が架けられた。情報とエントロピーのあいだに、情報とカオスのあいだにも……。(『インフォメーション 情報技術の人類史ジェイムズ・グリック楡井浩一訳)
 それでも【竹下(登)氏は日本出発直前に、日頃から竹下派の政治献金の面倒見のよかった第一勧銀には、プラザ会議の議題をリーク】していた。この情報で第一勧銀はドル売り円買いの投機に精をだして、巨額の利益を得たのである。(『アメリカ殺しの超発想 「奴隷」日本よ、目を醒ませ! 制度疲労をすぐ正せ!霍見芳浩
 だが、木村は本当に乱取りだけで9時間やった。まず警視庁へ朝10時から出稽古へ行き、昼食を食べて拓大で3時間、そして夕方6時から講道館、そのあと深川の義勇軍道場、牛島塾に戻ってくるのは夜11時である。
 そして夕食をかき込むと、ウサギ跳びをしながら風呂に行き、またウサギ跳びで帰ってくる。すぐに腕立て伏せを1000回やって、そのあとバーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右1000回ずつ、さらに立木への数千本の打ち込みである。布団に入るのは午前2時過ぎ。そしてそこからまた頭のなかでイメージトレーニングが始まった。眠ってしまいそうになると自分で体をつねってその痛みで奮起しイメージトレーニングを続ける。眠るのは4時過ぎである。睡眠時間は3時間もなかった。
(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也
【「資金源」「資産」「費用」「収益」の4箱のうち、最も注目すべき箱は?】

 正解は「資産」です。

 決算書を読みなれた方なら、「有利子負債」や「経常利益」といった科目を真っ先に見ると思いますが、初心者はまず【「資産」の大きさ】を意識してください。

(『世界一やさしい会計の本です山田真哉

会計
 印刷の世界史を調べてみると、紀元前4000年のバビロニアの押圧印刷、西暦105年には中国で紙が作られるようになります。西暦285年になるとようやく日本に紙と墨が伝わってきます。西暦960年を過ぎるころになると木版による印刷技術も始まり一般化してきます。西暦1400年代は鋳造技術が確立しドイツを中心に銅版による彫刻や活版印刷技術などが進みます。西暦1457年になるとドイツによる三色印刷も始まります。西暦1590年、印刷機が来日します。国内で初めての本が作られたのがこの頃(ママ)です。まだまだ印刷をどのように用いていいのかわからない時代であった日本ですが、この10年後にお札がお目見えすることになります。(『偽札百科』村岡伸久)
 その一方で、欧米諸国からの皇室国際化の要請を予測していた皇室は、開国に備えて政治・外交・社会体制まで包含した大規模な国家戦略群をあらかじめ建てていた。それが「堀川(ほりかわ)政略」で、発端は天保(てんぽう)の大飢饉の前後の1830年代と推察される。室町時代依頼、永世親王として代々皇室のウラを支え國體(こくたい)を護ってきた伏見殿の19代貞敬(さだよし)親王と第一皇子・邦家(くにいえ)親王が中心となり、國體参謀衆に命じてこれを建てたというのだ。
 建武(けんむ)の新政にあたり南北朝(落合史観では海洋民族系を南朝、大陸騎馬民族系を北朝と呼ぶ)の合一を図るために建てられた極秘の「大塔(おおとう)政略」に基づき、南朝の大塔護良(もりなが)親王の息子・益仁(ますひと)親王(のち興仁〈おきひと〉親王)が北朝光厳(こうごん)上皇の第一皇子に入り崇光(すこう)天皇となったことで南北朝は実質的に統合された。崇光天皇の皇子・栄仁(よしひと)親王が初代となって始めた伏見殿が、代々大塔宮の血統を伝えることで、「万世一系の皇統」の血統バンクとなったのである。伏見殿が國體天皇となり、伏見殿から出た後花園(ごはなぞの)天皇の末裔が皇室となって代々政体天皇に就いてきたが、「堀川政略」により、皇室の国際化のため、伏見殿が海外事項に専任し、政体天皇が國體天皇になったという。その空いた政体天皇の役職を埋めるため、政体天皇には皇室外から後花園皇統以外の大塔宮の子孫を抜擢することを定めたのだ。
(『逆説の明治維新落合莞爾監修)
 2010年7月30日未明、大阪ミナミの繁華街のそばの、15平米ほどのワンルームマンションで、3歳の女の子と1歳8ヵ月の男の子が変わり果てた姿で見つかった。齊藤芽衣さんは、その二人の子どもの母親だ。
 この夏はとびきり暑かった。子どもたちはクーラーのついていない部屋の中の、堆積したゴミの真ん中で、服を脱ぎ、折り重なるように亡くなっていた。内蔵の一部は蒸発し、身体は腐敗し、一部は白骨化していた。
(『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』杉山春)

虐待
 QEは表向き「デフレ対策」として行われ、アメリカでも日本でも、インフレを2%にするのが目標だ。もし米FRBや日銀が、中小企業に対する銀行の貸し渋りを是正する行政指導を強めたり、国民に直接ゼロ金利で、大盤振る舞いで融資する新制度を作ったりしたら、必ず消費が増加してインフレになる。しかし、デフレ対策というQEの目標は、表向きの看板だけだ。QEの真の目標はデフレ対策でなく、債権金利の上昇を買い支えによって防ぐという金融救済だ。(『金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』田中宇)

金融
 父はよくギリシャの劇作家アイスキュロスを引用したものだった。「知る者は苦しまねばならない。眠っていても、忘れられぬ悲しみは心に滴り落ちてくる。わたしたちの絶望に、わたしたちの意志に反して、神の恐るべき恵みによって叡智がもたらされるまでは」(『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー:宇佐川晶子訳)
 ヘッジファンドの雄ジョージ・ソロスは、CDSについて「他人に保険をかけ、その人間を殺すようなものだ」と評しました。(『もうこれは世界大恐慌 超インフレの時代にこう備えよ!朝倉慶
 イオウ化合物の一つ、硫化アリルはいわゆる血液をサラサラにする作用があり、血栓を予防する働きがあります。また硫化プロピルもイオウ化合物で、血糖値を正常にする働きがあります。これらの効果を十分に得るためには、生で、かつ切ったあと20分ほど老いておくとさらに効力が高まります。また、辛味も落ち着き食べやすくなります。(『糖尿病・高血圧・脂肪太り ぜんぶよくなる!タマネギBOOK』周東寛監修)

タマネギ
 19世紀後半のアメリカで、病院食として開発されたというグラノーラ。語源は一説によれば、“つぶつぶ”という意味の「グラニュール(Granule)」と“穀物”を意味する「グレイン(Grain)」から生まれた造語だといわれています。(中略)ちなみに、油や甘みを加えていないものはミューズリーといい、こちらの起源は、スイス。サナトリウムの医師が患者のために考案したものだといわれています。(『フライパンでつくる 美腸 グラノーラ』小林暁子)
 会津藩では、それに「童子訓」がいわば必修科目で、これはすべて暗誦させられた。『小学』を基礎にした金言名句、小話のたぐいを編集した冊子で、文字通りの小学読本である。
 日常の起居についての躾(しつけ)は、別にいろいろとあった。
「寒くても手を懐ろに入れるな」
「暑くても扇子を使ったり、肌脱ぎになってはなりませぬ」
「門の敷居、畳の縁(へり)を踏むな」
「来客のときは大声を出すな。奴僕はもちろん、犬猫のたぐいでも、叱るのは客に失礼である」
「人前で退屈の風を見せてはなりませぬ」など、など。
 しかし、こういうことは物心ついたころから、おのずと身について育つので、それが窮屈だとか、喧(やかま)しいとかいう感じは、誰も持たなかった。
(『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛)

柴五郎明治維新日本近代史
 弱冠22歳、青白き英国諜報部員、アーネスト・メーソン・サトウが、大胆にも「ジャパン・タイムス」で革命論をぶち上げる。サトウが論文で日本国内を煽り、グラバー五代寺島をイギリスに送って、英国政府を動かす。見事な連係プレー、英国諜報部が覚悟をもって磨き上げたシナリオである。(『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン加治将一

明治維新日本近代史フリーメイソン
 ついていた。
 ついているのはいいことだ。だが、つきは瞬時に変わる。幸運は逃げ足が速く、気まぐれで、浮気症だ。
(『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー:伏見威蕃訳)
 願わくば
 偉大なる精霊が 明日も
 あなたのこころに
 日の出を もたらさんことを。
(『虹の戦士北山耕平翻案)

インディアン
 恐怖が、徐々に僕の心を麻痺させて行った。僕の覗き込んでいる地階の夜の中には、呪詛と憎悪と怨恨と嫉妬とに充ち満(ママ)ちた悪の深淵が開いている。ただ僕は、それが記憶から喪われた過去の幻(ママ)象なのか、まだ生まれない未来の感情の先駆なのか、知ることが出来なかった。しかし僕は暗闇の中に明かに見ていたのだ。魔女の祭壇の大きな器に犠牲たちが一つに煮つめられるように、人間の体験し得るあらゆる悪の素材が塔の奥底に澱んでいることを。(「塔」福永武彦)『筑摩現代文学大系 75 中村真一郎・福永武彦集
 記憶力に興味を持ち始めたごく初期の頃――カーベロの真似をしていた頃――にすでに私は、トランプの順番などのように関連のない情報の羅列を憶えるためには、情報をコード化してイメージに変換することが必要だとわかっていた。イメージに変換することで、ばらばらの情報をつなげることが可能になるのである。このプロセスでは想像力を駆使する。そして、論理や空間認知をはじめとする脳の機能を幅広く使うことになる。(『記憶に自信のなかった私が世界記憶力選手権で8回優勝した最強のテクニック』ドミニク・オブライエン:梶浦真美訳)
 コンビニ客は、売れ残った弁当を値引き販売しているからといって、ワーッと集まってきたり弁当を余計に買ったりはしないものです。あくまでも、お腹がすいたから必要な分を買おうと店に入り、そこにある選択肢の中から選んで買う――つまり、値引き販売をしたからといって客数や販売数が増えるわけではないということです。値引き商品を棚に並べれば、単に【通常価格で売れたはずの分が値引き販売分に置き換わってしまう】のです。
 この、値引き販売によって売れなくなる通常販売の部分を「機会損失」といいます。
(『「値引きして売れるなら捨てるよりマシ」は本当か? 将来どちらのほうが儲かるかで考える損得学』古谷文太)

ビジネス
「その際に伏見宮家に日本の海外ネットワークを委ねる密約が交わされたが、これらの諸施策が奏功したのを観て実施されたのが、閑院宮家の創立である。
 矢野系シャーマニズムとは、地動説に立脚する数理系シャーマニズムのことである。伏見宮家の創立以来、海外情報を御進講するために、彼らが海外ネットワークを組み立てて、充実させてきた。閑院宮家の創立は、海外ネットワークを補強するための強化策で、その主力は法親王系シャーマンで構成されていた」(『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』落合莞爾)

日本史
 あれ以来、父は以前と変わってしまったのだ。父からは大事なもの、人好きのする活気のようなものが消えうせてしまった。(『ナイスヴィル』カーステン・ストラウド:山中朝晶訳)
 生きとし生けるものが喜々として生きるのは神の意志だろう
 しかしここに生きてはならぬ人間がいた(玉砕命令が出て生きているということは死刑である)
 やがて司令部からくる「死の使者」をまっているのだった
 責任の最も重い将校は力なく遠い海をみつめていた
(『総員玉砕せよ!』水木しげる)

戦争
 幕末の日本には、全国で47万人くらいの武士がいたらしい。しかし戦争では、特定の戦場に、相手より強力な戦力を集中できた者が勝つ。ペリー艦隊は、日本の海外の好きな場所に、300人の海兵隊を投入することができる。しかも、艦砲射撃の支援火力付きである。日本側が1500人の火縄銃隊をあつめてきたら、こんどは別な場所を襲撃すればよいのだ。有力な親藩の城下町も、多くが海岸の近くにあり、焼き討ち攻撃には弱かった。
 この機動力と火力とを、徳川政権が実力で排除するためには、台場ではなく、鉄道か軍艦かの、どちらかが必要なのであった。
(『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾兵頭二十八

戦争日本近代史
 現在の私は、もう桂離宮という権力にあやつられることはない。自分では、その勢力圏からぬけだしたと思っている。桂離宮にたいする無理解も、平気で書けるようになった。芸術的な感受性という点で、背のびをすることも、ひところよりはよほど少なくなっている。
 こうなると、かつての自分も、かなり冷静な目で見られるようになってきた。いったい、私の言動を拘束したあの権力は何だったのか。私は、どのような権力により操作されていたのか。そういうことに興味がわいてきた。
 安直なヒロイズム気分をゆるしてもらうならば、現在の私は権力から脱出してきた亡命者である。そして、この本では、亡命者の立場から祖国の内情とその歴史を書いてみたいと思っている。
(『つくられた桂離宮神話』井上章一)
 わたしにだってできる、できる、できる――
【生きることが】。
(『キャリー』スティーヴン・キング:永井淳訳)
 アドラーは、このような行動について「なぜ」と問うとき、行動の「原因」ではなくて「目的」を答えとして期待しています。人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目的を設定しそれを追求する、と考えるのです。言い換えると、「どこから」ではなく「どこへ」を問うているのです。(『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために岸見一郎

心理学
「これは国際社会のルールだ」というのも、実際には米国のルールを他国に押しつけるときの常套句だし、「科学的根拠がない」というのも、牛の全頭検査や京都議定書に対して連発しましたが、要するに米国が自国に不利になる事実を認めたくないときの言い逃れにすぎません。米国人はこの種のPR会社的発想の、姑息な言葉のすり替えテクニックをよく使いますから用心しなければなりません。(関岡)『国富消尽 対米隷従の果てに』吉川元忠、関岡英之

アメリカ
 日本軍の真珠湾攻撃で、日系人の信用はうしなわれた。
 ハワイでは、日系人は10人以上、集まってはいけない、家から15マイル(約24キロメートル)以上、遠くに行ってはいけない、と命じられた。バスのなかには「英語で話せ」というはり紙が出され、日本語で話すことを禁じられた。(『夢にむかって飛べ 宇宙飛行士エリソン=オニヅカ物語毛利恒之
 雨はいい。なぜかと訊かれても返答に困るが、あらゆるものの輪郭がぼやけて、何となくやわらいだ気分になれるのだ。雨を見ていると肩の力が抜け、脈拍も落ち着く。(『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳)
 チオスルフィネートは血栓をできにくくするだけでなく、できた血栓を溶かす作用があることがわかっています。そのほか玉ねぎは血液中の善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減少させて血液サラサラにします。(『いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!石原結實監修)

タマネギ血糖値
 アメリカの捕鯨業は、日本のように鯨(くじら)を食べるためではなく、油を取るためだった。アメリカはイギリスを追って機械工業の時代に入っており、どうしても夜間照明用の油が必要だった。技術革新によって蒸気船が発明され、加えてパナマに鉄道が開通し、太平洋がきわめて近い存在になった。カリフォルニアと中国のあいだに航路が開設され、捕鯨船を含めて日本列島周辺での遭難も増え、石炭を確保する上でも日本の港が必要だった。(『偽りの幕末動乱星亮一

日本近代史
正慶孝●本当に数理科学のエッセンスを身につけた人は、数字を使わないでも文脈ですべてを表現できます。現代は文脈を読む力がとても衰えていて、言葉の味わいや意味を読めない時代になりました。実にさびしいことだと思います。

藤原●書いてあることを読む力が衰えた上に、行間を読める人が少なくなっているし、何が書いてないかを読みぬく人は皆無です。読書の楽しみは何が書いてないかを読むことであり、筆者の頭の中を読むのが読書の真髄ですよ。

(『賢く生きる 藤原肇対談集藤原肇
 令状が来れば、たとえ東京に暮らしていても、戸籍の本籍地にある軍隊への入隊が決められていました。定められた日時を遵守(じゅんしゅ)しないなど、軍隊では許されることではありません。召集を受けた生徒はクラスメートに挨拶する時間などなく、ある日突然消えていきました。(『知覧からの手紙』水口文乃)

戦争特攻隊日本近代史
 とめさんは、不作法を詫(わ)びながら畳の上に痛む足を投げだし、あのころの隊員たちの表情を、一つひとつなぞるように話してくれた。
「僕が死んだら、きっと蛍(ほたる)になって帰ってくるよ」
 そう言って出撃した宮川軍曹が、翌晩、1匹の“蛍”に化(な)って飛んできたというのは、この左手の庭の泉水のほとりであった。第7次総攻撃に進発した朝鮮出身の光山少尉が、出発の前夜、とめさんにねだられて低い声でアリランの歌を唄ったのは、次の間の柱のところであった。光山少尉はその柱にもたれ、軍帽をずりさげて顔をかくしょうにして唄っていたという。
「僕の生命(いのち)の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください」
 そう言って、うまそうに親子丼を食べて出撃していった一人の少年飛行兵のことを語ると、とめさんは、あの子のおかげで私(あた)ゃこんなにも長生きしてしもうた、と涙をにじませた。
(『今日われ生きてあり』神坂次郎)

戦争特攻隊日本近代史
 マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山黒木乃木東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
 マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
 それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)

GHQ日本近代史
 日本政府の暗号は、1941(昭和16)年12月7日の真珠湾攻撃の1ヵ月程前ほぼ完全に破られていた。FBIが夜中、日本大使館に侵入し、暗号表を写し取ったと伝えられている。(『國破れてマッカーサー西鋭夫

片岡鉄哉日本近代史マッカーサー
 私は「自殺は他殺である」ということを、もっと広く世間に訴えていく必要があると考える。特にいじめの場合は、いじめっ子が遊び感覚で弱い者を攻撃し、挙句の果てに死に追いやっているわけで、法的にはともかく、道義上は許されない行為として処理されることを啓蒙していくべきであろう。
 いじめて遊んでいるお前らこそ、卑屈で卑怯で、恥ずべき最低の人間である。弱者を助ける者が格好よい立派な人間である。こうした強いメッセージを社会に打ち出すことが、子どもを守るために必要なのではないだろうか。
(『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言上野正彦

自殺
 少年だから犯罪は許されるのでしょうか。少年が犯人だとわかったら、淳は生きて返るのでしょうか。
 少年の人権、犯罪者の人権擁護をいうあまり、本当に守らなければならない真の「人権」というものを社会全体が見失っているのではないでしょうか。
 最初に社会全体で守っていかなければならないのは誰なのでしょうか。
 それは普通に、そして平穏に暮らしている一般の人々のはずです。
 それは人を疑うことの知らなかった淳であり、そして、他人に迷惑をかけずにその日、一日一日を一生懸命、生きている人々すべてだと私は思います。
 その一番大事な基本を見失えば、社会全体が歪んでしまうのではないでしょうか。
(『』土師守)

事件
少尉 第七七振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死 宮城県 一八歳 相花信夫

【遺書】
【母を慕いて】
 母上お元気ですか
 永い間本当に有難うございました
 我六歳の時より育て下されし母
 継母とは言え世の此の種の女にある如き
 不祥事は一度たりとてなく
 慈しみ育て下されし母
 有難い母 尊い母

 俺は幸福だった
 遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
 幾度か思い切って呼ばんとしたが
 何と意思薄弱な俺だったろう
 母上お許し下さい
 さぞ淋しかったことでしょう
 今こそ大声で呼ばして頂きます
 お母さん お母さん お母さんと
(注:ノート2頁に楷書でペン書き)

(『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編)

戦争特攻隊日本近代史
 これまで話してきたことは、私たちが脳をだましたり、脳にだまされたりした結果だと思うのです。
 ところが腸は脳のように、だましたり、だまされたり、勘違いなどはしません。なぜなのでしょうか。
 それは腸と脳の発生の歴史が違うからでしょう。脳ができたのは生物にとってずいぶん最近の話なのです。地球上で最初に生物が生まれたのは約40億年前でした。生物にははじめに腸ができ、脳を獲得したのは現在から5億年くらい前のことです。つまり生物の歴史上、8~9割の期間は生物は脳を持っていなかったのです。
 したがって、私たち人類は腸をうまく使っていますが、歴史の浅い脳をうまく使いこなせていないのです。脳は人間の身体にはまだ馴染んでいないということです。
(『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎)
 余幼くして煩瑣(はんさ)なる政情を知らず、太平三百年の夢破れて初めて世事の難(かた)きを知る。男子にとりて回天の世に生まるること甲斐あることなれど、ああ自刃して果てたる祖母、母、姉妹の犠牲、何をもってか償わん。また城下にありし百姓、町人、何の科(とが)なきにかかわらず家を焼かれ、財を奪われ、強殺強姦の憂目をみたること、痛恨の極みなり。(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史
 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史
 私はこの基本的なアンバランスに注目し、9の数字ではなく、8の数字を採用して、「秋津式8の法則」を発案してみました。これを使うと経験則的にかなり波動論を展開しやすくなり、実践でも応用できます。(『「雲と線」 私だけの株・FX教科書』秋津学)

投資
植草●小泉さんは国会の中ではずっと大蔵省委員会所属で、れっきとした大蔵族議員です。母体官庁は旧大蔵省、財務省ですし、所管業界は銀行業界です。その銀行業界が、巨大なライバルである郵便貯金を長きにわたって目の敵(かたき)にしてきた。何とか郵貯を潰せないかという要望がずっと続いてきました。(『売国者たちの末路 私たちは国家の暴力と闘う副島隆彦植草一秀
 ウパニシャッドという名称の意義に関しては専門家の間に意見の一致を見ていない。しかし普通に行われている説に従うのが、最も妥当かと思われる。すなわちサンスクリット語で(中略)「近くに坐す」を意味し、師弟間近く対坐して伝授さるべき「秘密の教義」の意に転じ、かかる宇宙の秘義を載せた聖典の名となり、さらにこの種の文献の総称として用いられるに至ったものと解し得る。(『ウパニシャッド』辻直四郎)

ヴェーダ
 こうして、ウェーンライト将軍のラジオ放送で米軍の降伏が決定します。
 日本は、それから1年半後の昭和18年(1943年)秋の「大東亜会議」を前にフィリピンの独立を承認します。ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を成立させました。いいですか、フィリピンを独立させたのは日本なんです。ここを間違えてはいけません。歴史はそうなっているのです。
 ところが、日本の敗戦で戦争が終わると、アメリカは、もう1回、フィリピンに独立を与えたというかたちにした。いかにも自分たちが独立させてやったというふうにした。しかし私のいまの説明で分かるように、アメリカはここを植民地にし、日本のあとから独立を追認したのであって、フィリピンをアメリカから解放しその独立を認めたのは日本だった。
(『GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画西尾幹二

GHQ日本近代史
 だが、時折、一機だけが幾(いく)ら機関銃を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜(くぐ)り、近づいてはきては逃げ、そしてまた突っこんでくる。日の丸の鉢巻が見える。祖国のために死を覚悟し、己(おのれ)の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨(だんう)を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込(ママ)んでくる。その時、撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声が湧(ママ)き上がる。その直後、耳が裂けるような轟音(ごうおん)を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。
 水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ!?」「なぜ死んだのだ!?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして帰ってくれればよかったのに!!」と言う。
 アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦士が、同じ心をも(ママ)って闘った戦士に感じる真(まこと)の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚(むな)しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性(さが)への「鎮魂の黙禱(もくとう)」であったのだ。
(『國破れてマッカーサー西鋭夫

片岡鉄哉日本近代史マッカーサー
「情が薄い。兵は将軍の情によって働くことを、あの卿はわかっていない」(『晏子宮城谷昌光
 ひとつの事象は、かならず陰陽をもっており、陰の面はみかたによって陽の面に変ずるわけで、絶望的な凶(わる)い予言も、吉に爻(か)えることができる。ことばによる呪力を、ことばによって修祓(しゅうふつ)できる、そういう伝統が宋の国にはあり、晏弱(あんじゃく)はそれをおこなったといえる。(『晏子宮城谷昌光
 たとえば、大戦において敗北すれば、3年分の国の費用は、1日にして消えてしまう。もしも頃公(けいこう)にそのことが切実にわかっていれば、晋に無用の刺戟をあたえることを避けたであろう。(『晏子宮城谷昌光
 19世紀の産業革命は、ニュートン力学と熱力学にもとづいて、マクロな物質の製造・加工が、熱機関の発明によってもたらされたものでした。それが鉄鋼や自動車など、「重厚長大」の産業の基礎となり、それまでの人力や馬力に頼る生活を一変させました。現代の生産力の基礎も、それを受け継いでいます。
 20世紀に入り、原子や分子というミクロ世界の法則(量子力学)が明らかにされ、エレクトロニクス技術が大きく発展しました。コンピューターや半導体素子はあらゆる電器製品に使われるようになり、「軽薄短小」の産業が発展してきました。
(『科学の考え方・学び方池内了

科学
 思考の諸革命はつねに、現象的経験から経験を組織するパラダイム〔範列〕へ向かうゆさぶりの一粒化・渦巻運動の成果である。(『方法 1 自然の自然エドガール・モラン:大津真作訳)
 すべてのものは、因であり果であり、支え支えられ、直接的であり間接的であり、いかにへだったのもの、いかに異なったものをも結ぶ自然的で、感知されない【つな】でつながれているものであるから、全体を知ることなくして部分を知ることは不可能であり、部分をくわしく知ることなくして全体を知ることも不可能であると私は思う。 パスカル(プランスヴィク版、II、72)『方法 1 自然の自然エドガール・モラン:大津真作訳
 このように漢字は徐々に生まれてきたのではなく、強大な権力者によっていっぺんに生まれてきたのです。文字が生まれるには「大王」と呼ばれるような絶対的な神聖君主の存在が必要でした。
 そのいっぺんに生まれた四千数百もの文字のうち、現在でも読めるものが約二千五百文字あるそうです。
(『白川静さんに学ぶ漢字は怖い小山鉄郎

白川静
 例えば、「おもふ(おもう)」という日本語には、モノを考えるという意味はないのです。「おも」は顔のこと。それが動詞化した「おもふ」はうれしいことや悲しいことが「ぱっと、顔に出る」という意味です。その「おもふ」が漢字に出会って、深化していったのです。
 漢字の「思」の上の「田」は頭脳の形で、頭がくさくさするの意。「念」の「今」の部分はモノにふたをする形で、じっと気持ちを抑えている意味。「懐」は死者の衣の襟元に涙を落として哀悼すること。「想」の上の部分の「想」は茂った木を見ると心に勢いが出てくる、つまりモノを見て心が動くこと。ですから「想」は、この心の勢いを人に及ぼし、遠くおもいを馳せること、おもいやることです。
(『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい白川静監修:小山鉄郎編)
 もう少し具体的に言えば、何かのアディクションに冒された人が、その対象となる化学物質を使用したり、対象となる行動をするのは、それによって自分が望む“気分の変化”を自分のなかに作り出したいという欲求のためです。そうすることで、彼らは本来自分がコントロールできない自然のサイクルをコントロールしているように感じます。(『やめられない心 毒になる「依存」』クレイグ・ナッケン:玉置悟訳)

依存症
 この(※依存)傾向が人間にそなわっているわけは、そもそも人間の脳が、即座に手に入る短期的な報酬を求めるように進化してきたからだ。私たちの先祖は、高エネルギーの果実をその場でむさぼり食ったり、性的刺激にすぐ反応したりしなければならなかった。そうしていなければ、あなたも私も、今、この世にはいないだろう。
 問題は、もはや身体的にも必要としておらず、種としての存続にも何の意味もないような報酬に満ちた環境を、私たちが築いてしまったことにある。たとえ必要のないものであっても、そういったものは報酬であるため――つまり、脳の中で期待感と快楽といった特定の感情を引きおくすため――私たちはつい手を伸ばさずにはいられない。
 言いかえれば、私たちは「【すぐに気分をよくしてくれるもの=フィックス】」に手を出してしまうのだ。
(『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実デイミアン・トンプソン:中里京子訳)

依存症
 20世紀初頭、「写真歴史家」を自称するエドワード・カーティスの写したインディアンの写真が、アメリカじゅうのあらゆる寄宿舎や家庭の壁に飾られていたと言っても言いすぎではなかった。彼の一貫する被写体は、アメリカン・インディアンであり、テーマは、「消えゆく民族」、そして、その典型的な構図は、気品あるインディアンがメラコリックなポーズをとりながら、セピア色した永遠に見入る姿であった。(『アメリカン・インディアンの歌』ジョージ・W・クローニン編:渡辺信二訳)
 私たちはだれでも、子供の時に親から心に「感情の種」を植えられる。そしてその「種」は、本人が成長するとともに芽を出し成長していく。それは、ある親子にとっては「愛情」「他人を尊重する個々と」「独立心」などに成長する「種」であるが、そうでない多くの家庭においては、「恐れる心」「不安感」「過剰で不必要な義務感」「罪悪感」「いくらやっても不十分な気分」などに成長する種である。(『毒になる親 一生苦しむ子供』スーザン・フォワード:玉置悟訳)

虐待
 官僚機構の淵源(えんげん)は明治の太政官(だじょうかん)制、さらに遡(さかのぼ)れば古代日本の律令(りつりょう)政治にある。明治においては、議会政治が始まる20年も前に官僚主導の意思決定体制が構築され、すでにこの時代に官僚による専制=有司専制(ゆうしせんせい)が問題視されていたことを知らなければならない。(『日本の独立 主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘植草一秀
 駒の動かし方や二歩の話をしたら、次はいよいよ「詰み」の話。そんなときに、1手詰が役に立ちます。中でも人気なのは、持ち駒のある問題で、どこに打てばいいのかな、と楽しそうに考えてくれます。そんな姿を見ていて、今一番必要なのは1手詰ではないか、と思うようになりました。(『1手詰ハンドブック』浦野真彦)

将棋
 これも重要なことだが、弁護士をすぐに信用しないことだ。いまだに日本人はこの職業名に弱いようだが、クズみたいな弁護士が世の中には山ほどいることを知っておいてほしい。
 なにしろ、こやつらの悪さは言語に絶する。私も悪いやつはたくさん見てきたが、この地球上で一番悪いのは、ヤクザでもない、詐欺師でもない、間違いなく(悪徳な)弁護士である。これは仕事でつきあいのある警察幹部や探偵、他の弁護士などとも一致した意見だ。これほど人の心をもてあそんで平気でいられる生き物を私は他に知らない。
 しかも、その目的がただの金だというのだから、その愚劣さは筆舌につくしがたい。
(『証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々』平塚俊樹)
 あたかも水中に生きる魚が網目を突き破って河水の中へ帰っていくように、そのようにさまざまな世間的存在につなぎとめる【きずな】を引き裂いて、そして野火が一たび焼いてしまったところに滞留することがないように、そのようにひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって。(『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳)

スッタニパータ仏教
「もし、所得が今の2倍だったら」と考えたことはないだろうか。実は「改革」さえ行わなければ、私たちの所得は軽く2倍を超えていたはずなのである。
 平均的日本人の所得は、この20年ほとんど横ばいだ。それでも、多くの人は、それを不満に思っていない。こんなものだと思っている。
 でも、それは、重大なことを知らされていないからだ。世界の平均所得が、20年間で2倍以上になったという事実である。
(『平成経済20年史紺谷典子

経済響堂雪乃
 一つ、二つ冷や水を注しておくと、坂本龍馬という男は長崎・グラバー商会の“営業マン”的な存在であったようだ。薩摩藩に武器弾薬を買わせ、それを長州に転売することができれば、彼にとってもメリットがある。グラバー商会とは、清国でアヘン戦争を推進して中国侵略を展開した中心勢力ジャーディン・マセソン社の長崎(日本)代理店である。この存在が「薩長同盟」の背景に厳然とある。朝敵となった長州は武器が欲しい、薩摩は米が欲しい……この相互メリットをグラバー商会が繋いだ。(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト原田伊織

日本近代史明治維新吉田松陰
 自分の考えをコントロールすることは誰にもできません――さもできるかのように話をする人もいますが。私は、自分の考えを手放すのではなく、理解します。そうすると、考えの方が、私を手放してくれる感じがあります。
 考えは、そよ風や木々の葉、雨のしずくのようなもの。ただ現れるだけであり、問いかけを通じて、親しんでいくのです。雨のしずくに抵抗することはないでしょう? 雨は自分にとって意味をもつものではありません。考えもそうです。痛みを伴う考えをいったん理解できれば、それが再び現れたときには興味が湧きます。
(『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル:ティム・マクリーン、高岡よし子監訳、神田房枝訳)
 海外の不動産のローンはノンリコース(非遡及型融資)なのですよ、という話をすると、つい最近まで非常に驚かれることが多かった。ノンリコースでは、住宅ローンの支払いが不能になっても住宅を手放せば借金はチャラになるのだ。ローンが返せませんとなれば、住宅自体はローンを融資した金融機関が引き受ける。競売にかけて売り値が買い値を下回ったとしても、それはあくまでも金融機関の責任となり、ローンの借り手には返済の責任は生じないのだ。(『新・マネー敗戦 ドル暴落後の日本岩本沙弓

為替
 ハイパーインフレ論が信用されやすいのは、あまりに金額の桁が大きく人々の想像を超え、得体の知れない恐怖心をかきたてるからだろう。私は財務省にいたので大きな桁数の計算になれているが、一般の人は億円以上のおカネになると想像できなくなる。(『高橋教授の経済超入門高橋洋一
「人間には2種類ある。一つは人生につつきまわされても、ただそのままにしておく人たち。もう一つは、怒ってつつき返す人だ」(『金持ち父さん貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター:白根美保子訳)

マネー
 日本国政府が為替市場でドル買・円売り介入をするためには、ドルを買うための円資金が必要となる。その資金はどこから出てくるかと言えば、日本国政府が金融市場で政府短期証券を発行し、金融機関や機関投資家がそれを購入することで円資金を調達するのである。我々が預けている預金や支払っている保険料がめぐりめぐって政府短期債の購入に充(あ)てられているのだ。(『為替占領 もうひとつの8.15 変動相場制に仕掛らけれたシステム岩本沙弓

為替
GHQ焚書(ふんしょ)図書」というのは初めて聞く言葉だという人が多いかもしれません。GHQ(連合国軍総司令部)は、いうまでもなく第二次世界大戦の後、日本へ進駐してきた占領軍のことです。そのGHQが焚書をしていたのです。「焚書」というのは、流通している書物を止めてしまうこと、廃棄してしまうことです。紀元前3世紀に「焚書坑儒」(ふんしょこうじゅ)といって、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き捨て儒者たちを穴に埋めて殺してしまった有名な事件がありましたが、その事件から焚書という言葉が生まれました。要するに書物を廃棄して国民に読ませないようにすることです。(『GHQ焚書図書開封 1 米占領軍に消された戦前の日本西尾幹二

日本近代史大東亜戦争
ゲシュタルト問題」がヨーロッパの思想界の舞台にのぼるのは、1890年にクリスチャン・フォン・エーレンフェルスというドイツの哲学者が「ゲシュタルト質について」という論文を発表していからである。彼はゲシュタルトを「感覚要素の総和以上のもの、総和とは異なったもの」と定義した。(『アフォーダンス 新しい認知の理論佐々木正人
 私は気化させたガソリンを連続的に爆発させて、燃えかすと爆音を世間に叩きつける、
 私は前後ふたつの車輪を意のままに回転させて、世に満つくだらない不文律を蹴散らす、
 私は無意味な高速がもたらす【がき】染みた示威行為によって、進退極(ママ)まった中年男を悲しみのどん底から救い、陶然と酔わせる。

 私にしがみついて疾駆する者は、自ずと他律的に振舞うことをやめるのだ、
 私と共にある者は、何事にも怯(ひる)まず、飯代に事欠く立場さえすっかり忘れてしまう、
 私といっしょに雲を霞(かすみ)と遁走する者は、私がその潜在意識とやらを充分に汲み取って、ひと思いに死なせてやろう。
 むろん独りで死なせはしない。

(『見よ 月が後を追う丸山健二
 独身のころ、多くの男性の中から一生の伴侶(はんりょ)となる一人をどうして選ぶことができるのだろう、そのような重大な選択の決め手となるのは何だろう、と常々思っていた。おそらく理想の条件をできるだけ多くかなえた人が合格するにちがいない。背が高くてハンサムで優しくて、こよなく私を愛してくれて、それでいて知的で高収入で……というように。しかし実際はそんな数々の条件はどうでもよくなっていた。彼にあった魅力はたった一つ、抜群にエクサイティング(面白い)ということだけだった。(『我が家の流儀 藤原家の闘う子育て藤原美子

藤原正彦育児
 メディアは「植草事件」の“成立”に大きく加担している。被告人が従来から病的常習性を持つ人物であるかのように、先行的なイメージを持たせる報道内容になっていた。根拠なき“病的性癖説”が瞬(またた)く間にメディアの間で躍り狂い、まるで事件をバックアップするかのように、そのイメージは世間に広まった。(『国家は「有罪(えんざい)」をこうして創る 「植草事件」裁判記録副島隆彦植草一秀、高橋博彦)

事件
「偽装」は偽りが晒(さら)された時に初めて「偽装」と認知される。偽りが露見するまでは「偽装」が「本物」として扱われる。「偽装」の怖さはこの点にある。「偽装」は何かのきっかけやアクシデントで偽りが表面化したもので、「氷山の一角」にすぎない。地震に脆(もろ)い構造のマンションに住んでいても、真実を知るまで不安を持つことはない。本当に恐ろしいのは「見逃されている偽装」だ。(『知られざる真実 勾留地にて植草一秀
 過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる。日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を盗まれた国となってしまった。
 歴史は記憶だ。記憶を喪失した人は、正常な生活を営むことができない。国家についても、同じことである。
(『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか加瀬英明

日本近代史大東亜戦争
哲人●【対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません】。(中略)
 競争や勝ち負けを意識すると、必然的に生まれてくるのが劣等感です。常に自分と他者とを引き比べ、あの人には勝った、この人には負けた、と考えているのですから、劣等コンプレックスや優越コンプレックスはその延長線上にあります。さて、このときあなたにとっての他者とは、どんな存在になると思いますか?

青年●さあ、ライバルですか?

哲人●いえ、単なるライバルではありません。いつの間にか、【他者全般のことを、ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになる】のです。

(『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え岸見一郎、古賀史健)

心理学
 司馬(遼太郎)さんの罪は、明治至上主義を流布したことです。司馬さんの歴史観は、明治は明るく正しく、大東亜戦争へと進んだその後の軍部政府は日本史上連続性をもたない例外的な暗黒の時代であったとします。歴史が連続している以上、明治と昭和が断絶しているわけがない。皇国史観も、軍国主義も明治にその萌芽があり、昭和に大きく枝葉を広げたのは間違いないのです。(『日本近代史 「明治維新」という嘘原田伊織監修)

日本近代史
 筆者の経験上、成功するためには最悪のドローダウンの3倍の数字が目安となる。言い換えれば、3回連続して最悪のドローダウンに見舞われないかぎり、口座は破綻しないということだ。(『トレーディングエッジ入門 利益を増やしてドローダウンを減らす方法』ボー・ヨーダー:長尾慎太郎監修、井田京子訳)
 チベット問題について学んでいくなかで私は、戦前の日本がチベットのみならずモンゴルやウィグルなどとも浅からぬ関係を構築していたことを知った。それは旧帝国陸軍が極秘で推進していたユーラシア戦略の一環であり、モンゴル、ウィグルの独立を支援して反共親日国家群を樹立し、ソ連の南下を防ぎ、中国共産党との連携を遮断し、東アジアの赤化を阻止するという壮大な構想に基いていた。これを「防共回廊」構想という。(『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」関岡英之

日本近代史
 わたしは、書物とりわけ古文書に取り憑かれたとしかいいようのない、奇妙な暮らしをしている。古文書を解読して書いた最初の著作『武士の家計簿』もそのようななかでできた。毎日のように、薄暗い書庫のなかに入り浸り、汚い床に座り込んで、ほこりのなかで古書をむさぼり読む。食べるものも食べず寝るのも忘れて、この陶酔の時間に、はまり込んでいってしまったがために、あるときは書庫のなかで倒れ、とうとう図書館から救急車で病院に搬送されてしまったこともある。しかし、これが好きなのだから仕方がない。(『日本人の叡智』磯田道史)

日本近代史
 この出会い(※黒船来航、ペリーの副官コンティ堀達之助中島三郎助の会談)は、きわめて象徴的である。最初の対話で発砲交戦を避けることができた。それには日米双方の事情があった。見えざる糸が「戦争」を回避させ、「交渉」へと導いた。やがて接触を重ねるうちに、双方ともに「交渉」の重要性を認識し、それに伴う行動を優先させていく。(『幕末外交と開国』加藤祐三)

日本近代史
 文久期(1861~1864)と言えば、例外なく日本人すべてが尊王であり、攘夷であった。開国派(通商条約容認)であり、公武合体派の代表とも言われたこの時期の薩摩藩であるが、外国人を殺傷した生麦事件を起こしている。この事実は、日本人=攘夷の最たる例であろう。しかもこの段階で、倒幕を唱えていたのはごく一部の尊王志士激派のみに過ぎないのだ。こうして見ると、尊王攘夷 vs. 公武合体という構図は、じつはありえないことをおわかりいただけよう。(『攘夷の幕末史』町田明広)

日本近代史
 極論が許されるなら、欧米は釈明の文化、日本は謝罪の文化といえましょう。日本人はとにかく、謝るのが好き。また同時に、他人に謝らせるのも大好きです。MなのかSなのかわかりません。(『誰も調べなかった日本文化史 土下座・先生・牛・全裸パオロ・マッツァリーノ
 私たち人間を含め、すべての生命の活動は、無数の化学反応によって成り立っています。身体の動きをつくり出す筋肉の収縮も、視覚や聴覚といった感覚も、悩んだり笑ったりするときの脳の動きも、突き詰めれば、すべて数多くの化学反応によってもたらされるものです。
 ところが、こうした化学反応も、物理現象と同じように、実はミクロの世界における物質の揺らぎによって成り立っていることが明らかになっています。
(『世界は「ゆらぎ」でできている 宇宙、素粒子、人体の本質吉田たかよし
 量子の奇妙な世界で最も不可解なのは、「量子の絡み合い(エンタングルメント)」と呼ばれる現象である。二つの粒子がお互いに何万キロ、何億キロ離れていても、それらは謎めいた形でつながりあっている。片方の粒子に何かが起こると、【瞬間的に】もう一方の粒子も変化するのだ。(『量子のからみあう宇宙アミール・D・アクゼル水谷淳訳)
 これほどまでに馬鹿馬鹿しい等式が出てくるとは思わなかった。「平和主義」=「憲法9条」=「ガンジー主義」などという説が世に流布されている。しかも、こともあろうにあのパール判事が憲法9条を「ガンジー主義を明文化した理想の宣言文」と思っていたなどという、ありえない話まで捏造して。
 北海道大学公共政策大学院准教授・中島岳志の著書『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』がその妄言の書だ。
(『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論小林よしのり

ガンディー
 児童相談所の全国統計を取り始めたのは1990年である。この時相談件数は全国で約1100件であった。ちなみに筆者は、日本に子ども虐待が1100件もあるということを、驚きをもって受け止めた記憶がある。
 ところが件数は、94年には約2000件、96年には4000件、98年には7000件と伸び、99年には1万件を突破した。2001年には2万3000件、そして2005年は約3万4000件である。実にこの15年間に約30倍の増加となったのである。
(『子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎)

虐待
 神が天を差配しているという観念が強くなると、天はどこまで続いており、そこにはいかなる天体や運動があるかを明らかにすることが神の存在証明であり、また神への接近方法となる。(『宇宙論と神池内了

科学と宗教
 クラゲはどうやって1マイクロ秒(100万分の1秒)以下という速さで人を刺せるのか? 刺されたほうが痛みを感じるまでには、その百(ママ)万倍の時間がかかるというのに。(『時間の図鑑』アダム・ハート=デイヴィス:日暮雅通訳)

時間論
 生物進化の大原則に「子どもをたくさん残せる【ある】性質をもった個体は、その性質のおかげで子孫の数を増やし、最後には集団のなかには、その性質をもつものだけしかいなくなっていく」という法則性があります。(『働かないアリに意義がある』長谷川英祐)
「僕には戦争がわかりません」と口にする、それじたいに、じつは救いようのない傲慢さがひそんではいないか――?(『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙重松清、渡辺考)
 連合軍のほうでは、日本のこの態度を拒否ととったのであろう。8月6日に、広島にひどい爆弾を落とした。議会でも、その性質がいっこうわからなかった。その時の日本での物理学の第一人者、仁科芳雄博士に頼んで、広島へ飛行機でとんでもらって、この爆弾の性質を調べてもらうこととなった。
 仁科博士は、【これは原子爆弾というもの】であると報告された。
(『秘録 東京裁判』清瀬一郎)

東京裁判日本近代史原爆
 アメリカが日本に対して一番恐れたのは、日本の精神力でした。武器が何一つなくなったとしても、竹槍をもってでも敵と戦うというその精神力をとても恐れていたのだと思います。その日本の精神力を破壊しようというが(ママ)アメリカの政策であり、マッカーサー元帥はそれを遂行し、成功したのだと思います。(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)『インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部

日本近代史
 アメリカが自国の裏庭である中南米でキューバとの和解を進めている裏にも、覇権をうかがう中国の存在があります。援助外交や運河建設で中南米の反米国に接近している中国をにらんで、足元を固めようとしているのです。
 イランとの和解を進めていたのも、中東情勢をできるだけ安定化させ、アジア戦略に集中したいという背景があるわけです。
 こうしたアメリカの外交方針はオバマ政権だけのものでなく、次の政権が民主党のクリントンになろうと、共和党のブッシュになろうと変わることはないでしょう。
(『石油とマネーの新・世界覇権図 アメリカの中東戦略で世界は激変する中原圭介

石油
 いまのアメリカの人口推移を見ると、おそらく今後は共和党の大統領が誕生するのは難しくなると思われます。アメリカではヒスパニックの人口が右肩上がりに増えており、この人たちの大多数が民主党を支持しているからです。おそらく次の大統領選挙が、共和党が勝つ最後のチャンスで、それを逃したら、おそらくもう二度と共和党が大統領選で勝てる機会はないでしょう。(『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来中原圭介
 ここで少し考えてみたいのは、こうした人間の歴史における「拡大・成長」と「定常化」のサイクルは、そもそもいかなる背景ないし原因から生じるのか、という点だ。
 結論から言えば、それは人間の「エネルギー」の利用形態、あるいは若干強い表現を使うならば「人間による“自然の搾取”の度合い」から来ると考えられるだろう。
(『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来広井良典

資本主義ポスト・ヒューマン
 この時に初めて「怪人801面相」という名義を使いました。自分は以前から死刑事件を始めとする重大犯罪のマニアでした。その関連で警察庁の広域重要指定事件についても知っていました。指定事件は現在24件存在します。その中の未解決事件は114号のグリコ森永事件と116号の赤報隊事件です。(『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博文)

事件
 家の陰で、小舟の浮かぶ日の当たる川岸で、沙羅(さら)の森の陰で、無花果(いちくじ)の木の陰で、美しいバラモンの子、若い鷹、シッダールタは、彼の友、バラモンの子、ゴーヴィンダとともに生まれ育った。(『シッダールタヘルマン・ヘッセ:岡田朝雄訳)

仏教
 ホーキングの物理学の中心には、常に時間と空間の概念が存在する。アインシュタイン以降の物理学では、3つの拡がりをもつ空間と(過去~未来という)一直線の拡がりしかもたない時間をあわせて「時空」と呼ぶことが多い。
 これは、単に時間と空間を一緒にした略語ではなく、その背後には、
「そもそも時間と空間という概念は独立したものではなく、物理的に混じることがある」
 という相対性理論独特の考え方がある。
(『ホーキング 虚時間の宇宙 宇宙の特異点をめぐって竹内薫
小林●あそこに中国4000年の歴史なんてものがあると考えてしまうことが、すでに中国共産党のプロパガンダにのせられてるんですよ。

田原●それは違う。全然違う。

小林●13~14世紀の元のときは、チンギス・ハーンのモンゴル民族ですよ。全然違う民族がダーっとやってきて、前のヤツをバーっと虐殺して占領するんですよ。その次は、揚子江のあたりにいた漢民族が、元を北に追って明を建てた。17世紀には、満州のあたりにいた満州族がダーっときて、占領してしまう。そんとき弁髪を強制され奴隷にされたのは、漢民族ですよ。それがいままで中国大陸で起こったことじゃないの。

(『戦争論争戦小林よしのり、田原総一朗)

戦争日本近代史
 真の友人は第二の自己である キケロ『友情論』(『ギリシア人ローマ人のことば 愛・希望・運命』中務哲郎、大西英文)
 東京大学が実施する「学生生活実態調査(2012年)」によると、東大生の親の7割は年収が750万円以上だった。950万円以上でも6割近くに上る。教育の機会は決して、能力に応じて平等に与えられているわけではない。(『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之)
 日本時代は、太平洋戦争の敗戦で台湾を放棄するまで50年つづいた。私は日本人だから日本びいきなるが、余分な富力をもたない当時の日本が――植民地を是認するわけでないにせよ――力のかぎりのことをやったのは認めていい。国内と同様、帝国大学を設け、教育機関を設け、水利工事をおこし、鉄道と郵便の制度を設けた。(『街道をゆく 40 台湾紀行司馬遼太郎
 変化が不可欠な場合もあるが、それを実行する際は熟慮と正当な理由がなくてはならない。負けているときは必要のないものまで変えたくなるし、勝っていると大惨事の瀬戸際にあっても万事順調と思いこみやすい。ずさんな戦略がいけないのだと性急に考え、ころころ戦略を変えるのは、戦略がないも同然だ。環境が激変した場合にかぎり、根本的な変化を検討すべきである。(『決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』ガルリ・カスパロフ:近藤隆文訳)

チェス
井沢●よく「クオリティペーパー」と言いますけど、日本にはクオリティペーパーはありません。少部数で正確な情報を出していて、記者の水準も均質に高いという新聞はなくて、みんな大衆紙なんですよ。だって何百万部も出ているんですから。(中略)
小林●駅やコンビニでしか新聞は買えないことになったら、どれを選ぶかっていうようなことが試されてくるからな。
(『朝日新聞の正義 対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任小林よしのり、井沢元彦)
 第二次大戦後まもなくのころ、いまだに「コトリ」が出没するといわれた。
 大正生まれの母はいわなかったが、明治10年代、19世紀末に生まれた祖母が、幼時のわたしにおしえてくれた。
「おそうまで遊んどって、コトリにつれて行かれても知らんで」
 と、おどすのだ。
 コトリはたそがれどき、軒から軒にこうもりが飛ぶころ、白い服をまとってあらわれる。背はうんとたかい。ふあふあと地上から浮いているのか、足音はしない。手にはビードロのコップをもっていて、そこには赤い液が入っている。祖母からきいた話に、絵本にえがかれたすがたが混淆(こんこう)しているかもしれないが、わたしはコトリをこのように思いうかべた。
(塩見鮮一郎)『サンカ 幻の漂泊民を探して

サンカ
 たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法なのです。大事なのは法の文面ではなく、慣習にあるのです。
 つまり、たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」と見るのが憲法学の考え方なのです。
 だからヒトラーが政権を取って、全権委任法が制定されたら、そこで憲法は死んだと考える。憲法の精神が行われなくなった時点で、その憲法は無効になったというわけです。
(『日本人のための憲法原論小室直樹
 地球は水の惑星と呼ばれていますが、実は海水として地球の表面を覆っている大量の水は、もともと地球にあったものではありません。(中略)海を形成している大量の水分の起源は、彗星だと考えられています。42億年前から38億年前にかけて、彗星が次から次へと大量に地球に衝突しました。彗星は、別名「汚れた雪だるま」と呼ばれています。その名のとおり、彗星を構成している成分は、ほとんどが水の凍ったもので、その中に少量の有機物などが混ざっています。(『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議吉田たかよし
 いずれにせよ東京裁判における11人の判事の中で、「意見書」などといった柔らかい言葉ではなく、「判決」としたためてから自らの反論を残したのはパルだけではなかったこと、さらにベルナール一人だけが本判決への「反対」を明確に綴った表題から自らの見解を書き始めていたことなどは、専門家を除けば我が国で多くの者の意識の上に戦後長らく上ってこなかったまぎれもない事実なのである。(『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎)

日本近代史
 そもそも「従軍慰安婦」なる言葉は戦時中には存在しなかった。「従軍」という冠は「従軍記者」や「従軍看護婦」など、いわゆる軍が認めた軍属のみに付けられていたもので、それゆえ、それぞれの業者が率いる慰安婦たちは、当時はただ「慰安婦」と呼ばれていた。このように史実に反する「従軍慰安婦」なる造語が一般的に使われるきっかけとなった言われているのが、73年に出版された千田夏光氏の『従軍慰安婦』である。(『教科書が教えかねない自虐小林よしのり竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター)

日本近代史
 わたくしは昭和15(1940)年に財団法人写真協会に入社し、日本初の女性報道写真家となりました。日中戦争たけなわのころのことです。
 その後、太平洋戦争の開始、終戦、復興、高度成長、バブル崩壊……と続く激動の時代を、報道写真家として活動してきましたが、時にはやむをえず写真から距離をおいて過ごした時期もあります。
 でも、昭和60(1985)年。昭和という時代が“還暦”を迎えるその年に、わたくしは写真家として完全復帰したのです。多くの同年代がリタイアしている71歳からの再スタートでした。
(『好奇心ガール、いま101歳 しあわせな長生きのヒント』笹本恒子)
 詩情の表現ということを除いては、写真の記録的な側面に興味を持ったことはない。生活から浮かび上がってきたような写真だけが私を惹きつけるのだ。見ることの歓び、感性、官能、イマジネーション、そういったものを心に留めて、カメラのファインダーの中にまとめ上げる。そんな歓びをいつまでも私は失わないだろう。
     ――アンリ・カルティエ・ブレッソン
(『写真術 21人の巨匠』より)
音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』黒岩比佐子
 ポサドニック号事件で海舟が、ロシアと決定的に対立、断絶せずにロシア・カードを生かしていたと考えると、戊辰戦争に際して、ロシア公使が「いくらでも金を貸しますから、戦争の始末をつけなさい」と海舟にうるさく言ってきたと海舟が言っていることの意味がわかってくる。西郷隆盛が江戸総攻撃を考えるにあたって、一番恐れていたのはこのロシア・カードではなかったか。榎本武揚が蝦夷地に艦隊を率いて逃亡するにあたって、一番当てにしていたのは、このロシア・カードではなかったか。(『勝海舟と幕末外交 イギリス・ロシアの脅威に抗して』上垣内憲一)

勝海舟日本近代史
 彼らは性剽悍(ひょうかん)である上に首狩りの遺習をさえ伝え持っていた。この首狩りの習俗が大陸からの移住民を迎えてからいかんなく発揮されはじめたのだ。
 新移住民はつぎつぎと彼らの持つ鋭利な刃物で、その首を刎(は)ねられた。
(『もう日は暮れた』西村望)

台湾
 かけ離れたレベルの存在があると、世間ってのは叩こうとするか、目を背けようとするか、そのどっちかなんだ。(『FX最終兵器』兄貴)