東アジアにおけるイギリスの最大拠点だったシンガポールが日本の手で陥落した際、フランスの軍人(のちの大統領)ド・ゴールは「アジアの白人帝国の終焉(しゅうえん)だ」と日記に書き記しています。
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点にある。(イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー
「民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである」(コロラド大学教授J・C・レブラ)
(『学校では絶対に教えない植民地の真実 朝鮮・台湾・満州』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉)

日本近代史
 奇妙なのは、自衛隊を「違憲だ」と認識しながら、「自衛隊の存在によって、立憲主義が覆される!」と主張することもなく、「集団的自衛権の限定的な行使容認によって、立憲主義が覆される!」と主張する人々だ。彼らは奇妙というよりも、偽りの立憲主義者だ。
 私は、一読して自衛隊の存在すら違憲としか解釈できないような憲法を改正して、誰もが納得のできる形の憲法を守ることが最も真っ当な方法だと考えているが、わが国には、極めてご都合主義的な偽りの立憲主義者が多数存在していることには辟易としている。
(『平和の敵 偽りの立憲主義岩田温〈いわた・あつし〉)
山家集』を読めばすぐ明らかに分るように、西行はふかく桜に魅入られた人間であり、数知れぬほど多く桜の歌を作っている。それに関して見逃しえないのは、散る桜、散る花を詠じたものがきわめて多いということに他ならない。西行はただ枝々に咲きつづけ、咲きとどまる花を歌ったのではなかった。(『西行』高橋英夫)
 人の顔つきは固定してはいないのである。私は人の中核は無形の森羅万象だと思っている。私はそれを情緒と呼んでいる。それが多分、情緒の中心によって顔つきとして表現せられるのであろう。だから変わるはずではあるが、それにしてもこんなに変わるとは。日本は終戦後、教育を変えてしまった。そのため児童、生徒、学生(何という煩わしさ)の顔つきが変わってしまった。今ならば見ればわかるのだから、このきわめて大切な事実を見のがなさないようにしてほしい。(『春の雲岡潔〈おか・きよし〉)
 写真家・森山大道氏は20代の若さながら、細江英公の助手として三島の有名な写真集『薔薇刑』の撮影に立ち会い、そのすべてのプリントを焼いたという運命的な経験の持ち主です。
 森山氏はこの三島との出会いを回想しながら、三島が亡くなった1970年ころから、日本の見え方が変質していったという、写真家ならではの歴史的直感を述べています。その変質とは、ひと言でいえば、「輪郭がぼやけていく」というものでした。
 この「輪郭がぼやけていく」感覚は、左翼運動の退潮で敵が見えなくなったこととも、また、高度経済成長で豊かさ以外を見なくてもよくなったこととも通じあう感覚でしょう。森山氏はそうした状況のなかで、いいようのない不安に襲われ、睡眠薬を常用するようになり、写真家としての活動を休止してしまいます。
(『続・三島由紀夫が死んだ日 あの日は、どうしていまも生々しいのか中条省平〈ちゅうじょう・しょうへい〉)

三島由紀夫
 柴田氏は、『報道されなかった北京 私は追放された』(サンケイ新聞社)という手記の中で、文化大革命当時の中国の異様な雰囲気を生々しく記録している。当時北京に駐在していた日本の商社マンたちは皆、胸にはいつも毛沢東バッジをつけ、商談や接待の前には『毛主席語録』を朗読してみせなければビジネスができない状況だったという。ある商社は「文革の勝利万歳!」「偉大なる毛主席万歳!」と叫びながら街なかをデモ行進までしてみせたという。そうまでして中国に忠誠心を示しながらも、スパイ容疑をかけられ、紅衛兵に両腕をねじあげられたままオフィスの廊下を歩かされたり、殴られて鼻血を流した日本人ビジネスマンも少なくなかったという。民間人だけでなく外交官といえども例外ではなかったようで、柴田氏はイギリス大使館が焼き討ちに遭い、紅衛兵がイギリス人外交官の頭を押さえつけ「頭を下げて謝罪しろ」と責めるのも目撃している。国外追放された柴田氏は北京を脱出する飛行機の中でさえ、スチュワーデスの命令で『毛主席語録』の朗読や毛沢東を賛美する革命歌の歌唱練習をさせられたという。(『なんじ自身のために泣け関岡英之
 今ふり返ってみると、あのときから8年の年月がたっている。走り始めた時私は68歳だった。最初の経験の激しさにかかわらずそのあとも走り続けたのはなぜですか、と、ときどきひとに訊かれる。私自身にも確たる理由は分からないが、結局は自動車のようにかさばらない乗り物で知らないところをゆっくり走れるのが楽しくて、ということなのだろう。(『自転車ぎこぎこ伊藤礼〈いとう・れい〉)
 ところで、倒れている人間の下に描いてある竿にとまったトリ――このトリを、なぜ描いているのだろうか。原始美術の研究者の間でいろいろ論議されているようだが、次のように考えたらどうだろうか。
 その時代の原始人は、肉体のほかに、霊魂の存在を考えていた。生きているときには、肉体に宿っているが、死ぬと肉体から抜けだしてゆく。そして、それはトリと化して飛びさってゆくのだと。
(『脳の話』時実利彦〈ときざね・としひこ〉)

脳科学
 スプリンターは速度への恐怖を克服しなければならない。
 ゴール前の速度は時速70キロを越える。十数人がもつれ合い、互いを追い抜こうとしている中へ飛び込んでいかなければならないのだ。
 当然ひとりが転倒すれば、みんなが巻き込まれる。怪我なんて日常茶飯事だ。
 怖い、と思ってしまえばもう終わりだ。足は止まり、勝つことはできない。
 冷静に考えれば、怖くないはずはない。
 だから、頭の中の掛け金を外す。生存への本能や、理性を吹っ飛ばす。
 俺たちは狂いながら、自分を壊しながら、限界を超えた速度の中に飛び込んでいく。
 恐怖を感じたスプリンターは、決して勝つことはできない。
(『サヴァイヴ近藤史恵〈こんどう・ふみえ〉)
 この会見を詳述し、昭和天皇の高潔な人格に打たれたと書いてあるのは、マッカーサーの日記だけです。なぜ、このような記述があったのでしょうか?
 実はマッカーサーの『回想録』というのは、嘘ばかりなんです。彼は間違いなく自分自身を誇大化するために、平然と嘘をつく人物です。
(『だから、改憲すべきである岩田温〈いわた・あつし〉)
 ロードバイクに乗っているときは、ヘソの下に力を入れる気持ちで体幹をつねに意識します。体幹が上手に使えなかったり、体幹が緩んでいたりすると、動きの支点が定まらないので力強いペダリングができなくなります。(『より速く、より遠くへ! ロードバイク完全レッスン 現役トップアスリートが教える市民サイクリストのトレーニング法』西加奈子〈にし・かなこ〉)
 僕は立ちこぎだけで100キロ走ったことがあります。練習で遠くまで行ったときのことです。サドルの調整をしようとシートポストのネジを緩めていたら、ポロンと落ちたネジが路肩のグレーチングの網の中へ…。サドルを背中のポケットに入れて、立ちこぎだけで帰ってきましたよ…。たまにフレームに座ったりもしましたが…。(『自転車の教科書堂城賢〈たかぎ・まさる〉)

ロードバイク
 そういえば家の者も私が自転車を買ってきたというので見に来て、「なによ、コレ」と軽蔑したような顔をした。あっけないぐらい小さいし細くて頼りない。スタンドも荷台もない。けばけばしく歯車だらけでもない。彼女の抱いている自転車の観念に照らせば10万円の自転車がこんなものであるはないのであった。ものごとは、起きるときは常に内憂外患の様相を呈するものであって、今回もそれであった。(『こぐこぐ自転車伊藤礼〈いとう・れい〉)

ロードバイク