とめさんは、不作法を詫(わ)びながら畳の上に痛む足を投げだし、あのころの隊員たちの表情を、一つひとつなぞるように話してくれた。
「僕が死んだら、きっと蛍(ほたる)になって帰ってくるよ」
そう言って出撃した宮川軍曹が、翌晩、1匹の“蛍”に化(な)って飛んできたというのは、この左手の庭の泉水のほとりであった。第7次総攻撃に進発した朝鮮出身の光山少尉が、出発の前夜、とめさんにねだられて低い声でアリランの歌を唄ったのは、次の間の柱のところであった。光山少尉はその柱にもたれ、軍帽をずりさげて顔をかくしょうにして唄っていたという。
「僕の生命(いのち)の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください」
そう言って、うまそうに親子丼を食べて出撃していった一人の少年飛行兵のことを語ると、とめさんは、あの子のおかげで私(あた)ゃこんなにも長生きしてしもうた、と涙をにじませた。
(『今日われ生きてあり』神坂次郎)
戦争/特攻隊/日本近代史