文久期(1861~1864)と言えば、例外なく日本人すべてが尊王であり、攘夷であった。開国派(通商条約容認)であり、公武合体派の代表とも言われたこの時期の薩摩藩であるが、外国人を殺傷した生麦事件を起こしている。この事実は、日本人=攘夷の最たる例であろう。しかもこの段階で、倒幕を唱えていたのはごく一部の尊王志士激派のみに過ぎないのだ。こうして見ると、尊王攘夷 vs. 公武合体という構図は、じつはありえないことをおわかりいただけよう。(『攘夷の幕末史』町田明広)

日本近代史