東京裁判は「勝者が敗者を裁くことにすぎない、ではないか」という批判に対し、裁判の設置者や検事側は「これは文明の裁きであり、侵略戦争の指導者を罰することで将来の戦争勃発を抑止し、国際社会を安全にする目的を持つ」という主旨の主張をした。敗戦という未曾有の体験をした当時の日本には、この占領者側の理窟に同調する人もいた。たとえば東京裁判の判決の翻訳団の一員であった横田喜三郎(東京大学法学部教授・最高裁判所長官・文化勲章受章者)などもそう主張していた。
 ところが、A級戦犯とされた人たちの死刑執行から2年も経たぬうちに――文学的誇張で言えば、判決文のインクもろくに乾かないうちに――朝鮮戦争が起こり、世界の多数国が参加する事態になった。その後もベトナム戦争や中近東の戦争、中印戦争、中越(中国ベトナム)戦争など、小さい戦争を数えれば実に多い。東京裁判に参加した判事の国の間で戦争しているのだから世話はない。つまり東京裁判は「文明の裁判」ではなく、単なる「勝者の裁判」であったにすぎないことは実証済みだ。
(『『パル判決書』の真実渡部昇一

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