慶応4年(1868)正月3日から4日にかけて戦われた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、幕府、会津の思わぬ惨敗だった。
 決定的な敗因は、戦いの最中に将軍徳川慶喜(よしのぶ)と会津藩主松平容保(まつだいらかたもり/1835-93)が大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ったことだった。
 死を賭(と)して戦っているときに最高指揮官が敵前逃亡したことは、稀有(けう)の不祥事であり、その衝撃は大きかった。
(『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇星亮一

日本近代史