たしかに数量による認識・表現は「はかる」ことの重要な部分だが、そのすべてではない。マイケル・ポランニーは、言葉にできない知識を「暗黙知」と呼び、その重要性を説いた(『暗黙知の次元 』1966年)。知っている人の顔を無数の顔のなかから見分けることができるとか、水泳やスキーの技術などがその例である。(『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝〈さかがみ・たかし〉、後藤武編著)
 学者、物知りとは書物を読破した人のことだ。だが思想家、天才、世界に光をもたらし、人類の進歩をうながす人とは、世界という書物を直接読破した人のことだ。(『読書についてショーペンハウアー:鈴木芳子訳)
「子供たちは、その船の到着を心から待ちわびていました。まるで、自分たちを救い出すために、お伽の国からやってきた魔法の船のように思えたのです。子供たちは、陽明丸を見て歓声を上げ、はしゃぎ回りました」(『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』北室南苑〈きたむろ・なんえん〉)
 ラグビー日本代表の選手にアドバイスしていたときのことです。彼が「この良い感覚をどうしたら維持できるのでしょう?」と聞いてきたので、私は「良いも悪いも流すことですね」と答えました。
 流すと言ってイメージするのは川や水ではないでしょうか。例えば川の流れは、「この流れがいい」からといって、その一部分を切り取ることはできません。水を留めておこうと流れをせき止めれば、たちまち水は濁って腐っていき、もとの清らかな水とは程遠いものになってしまいます。
 つまり、何かに固執したり執着したりすることは、思考や行動をせき止めていることと同じなのです。
(『小関式 心とカラダのバランス・メソッド小関勲〈こせき・いさお〉)
 症状をコントロールできれば、ぜんそくはハンデにはなりまえsん。私は、ぜんそくという持病があったことで金メダルを手にすることができました。ぜんそくの患者さんにも、ぜんそくであることがよかったという生き方をしてほしいのです。(『ぜんそく力 ぜんそくに勝つ100の新常識清水宏保
 18世紀まで、音楽とは基本的に生で聴くものだった。コンサート、オペラ、ダンスホール、バー。1800年代に入り、“業界”大手は楽譜の販売を始めた。人々は楽譜を買い、家に持ち帰って自分で演奏した。そのころの主流はピアノだった。その後――ありがとう、ミスター・エジソン――蝋管蓄音機が発明された。蝋に刻まれた溝をたどった針が振動して音楽を再生し、花のような形をしたスピーカーから流す。いつでも好きなときに家庭で音楽が聴ける時代の到来だ。(『シャドウ・ストーカージェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
「厳しいトレーニングをやっていると、なんか動物に近くなるような感覚があるんですよね。もしかしたら僕らのやっているトレーニングというのは、後天的に埋め込まれた価値観を削ぎ落とす作業なのかもしれない。現在の文明や文化というのは、本当に人間に必要なものなんですかね。トレーニングをしてだんだん五感が研ぎ澄まされていくと、これは多分、動物の感覚に近くなることなんでしょうけど、そうするとなんか、今の社会には余計なものが沢山あるような感じに思えるんですよね」(『神の肉体 清水宏保』吉井妙子)

清水宏保
 インドのデリー市郊外の世界遺産クトゥプ・ミナールに、紀元4世紀に仏教国のグプタ朝期に建てられた鉄柱がある。直径42cm、高さ地上7m、重さ約7tで約1mは地中に埋まっていと言われている。鉄の純度は99.72%で、約1600年経つがほとんど錆が進行していない。このような大きな鉄の構造物を作った当時の技術はどのようなものであったであろうか。(『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏)
Y●どうしてかっていうと、現象を計算過程として理解するってことが、科学だからさ。感覚や意識過程も例外じゃない。意識過程は、プログラムとして理解されることになる。でも、そのプログラムが、肉で、タンパク質で、できている。それって物質、モノだよね。そうすると、プログラム自身における、材料としての変質、摩耗(まもう)なんかが、計算過程に意味を持ってくると思うわけ。意識や感覚も計算過程なら、プログラム自身の物質的状態に応じて、感覚が、影響を受けると思うわけだよ。(『生きていることの科学 生命・意識のマテリアル郡司ペギオ幸夫
 東京の三鷹光器といえば、小企業ながら日本一の天体望遠鏡にはじまって、いまでは脳外科手術用の顕微鏡メーカーとして国際的にも知られているが、かつて世界ではじめて100万分の1ミリ精度の測定器を作ったことがある。ちょうどその開発中に訪問したわたしは、創業者の中村義一さんに「いまのところはばらつきが出て不安定なので、100万分の3ミリを達成と書いておいて下さい」と言われて、自分の原稿にその通り書いた。ところがその本が店頭に並ぶ前に、NHKのテレビ番組が、100万分の1ミリを達成と伝えたのでびっくりした。不安定の原因は測定器の水平を支える4本のねじのうちの1本に、かすかなガタがあるからだと判明したという。(「解説」小関智弘〈こせき・ともひろ〉)『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』ヴィトルト・リプチンスキ:春日井晶子訳
 私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史をたどった言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
 それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
(『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗〈みずむら・みなえ〉)
 陳蕃(ちんばん)は自室でくつろいでいた。庭はというと、草はのびほうだいでまことにきたならしい。そこに父の友人で薛勤(せっきん)という者がやってきて、ちらりと庭に目をやってから、陳蕃にむかって、
「孺子(じゅし)よ、庭の掃除をして賓客を待つものだぞ」
 と、叱るようにいった。すると陳蕃が、
「大丈夫(だいじょうふ)の処世というものは、天下の掃除をおこなうものであって、家の掃除などはするものではありません」
 と、答えたので、薛勤は15歳の童子に清世(せいせい)の志(こころざし)があることを知り、ふしぎにおもったという。
(『三国志宮城谷昌光
「天知る。地知る。我(われ)知る。子(なんじ)知る。たれも知らないとどうして謂(い)えるのか」
 これが四知である。
 どんな密事でも天が知り、地が知り、当事者が知っている。それが悪事であれば露見しないことがあろうか。
(『三国志宮城谷昌光
 変形性膝関節症は、退行性(たいこうせい)によるひざ関節の骨や軟骨の病変です。
 一般的に、この病変は関節を長年使用したために軟骨がすりへって発生するとされていますが、私どもの考え方は少し違います。
 ポイントは同じ軟骨の状態ですが、主要因としては摩耗というより、弾力性の低下=機能の低下のほうにあると考えています。
(『ひざ痛を自分で治す本本』大谷内輝夫〈おおやち・てるお〉)

膝痛
 私が特に驚いたのは、実験終了後、参加者に聞き取り調査をしたときでした。腰割りの効果が、運動能力と体型の変化だけでなく、ほとんどの参加者から不調の改善の報告がどんどん上がってきたのです。

・肩こりが緩和した
・腰痛・ひざ痛が緩和した
・冷え性が改善した
・むくみにくくなった
・食欲が増した
・生理痛が改善した
・体のだるさがとれた
・長時間、長距離を歩くのが楽になった
・階段の上り下りが楽になった
・ゴルフスイングのふらつきが軽減した

(『「腰割り」で体が若返る 肩こり・腰痛・ひざ痛など体の不調を改善するお手軽体操』白木仁〈しらき・ひとし〉)

筋トレ