では、その具体的な方法は? 簡単です。おなかを凹(へこ)ませるだけ。凹ませていない腹はたるみ、凹ませている腹は締まるのです。だから、1日に数回でも意識的に凹ませるだけでおなかは見るみる痩せていきます。
 いまやってみましょう。座ったままでも構いません。ぐっと。キツいズボンの第1ボタンを留める感じです。そう。それが基本。
(『腹だけ痩せる技術』植森美緒)
 その謝罪記者会見で木村社長は、吉田所長調書の大捏造記事の責任者として、杉浦信之編集担当取締役を更迭しました。(『ひと目でわかる 「慰安婦問題」の真実』水間政憲〈みずま・まさのり〉)

朝日新聞慰安婦
 逆にいえば、フェアでない行動をとった悪人が罰せられるのを見る場合、この同情反応は小さくなると想像できます。実験結果は驚くべきもので、男脳と女脳では様子が違っていました。
 女性の脳では同情反応は40%ほど減るのですが、男性ではほとんど完全に【消失する】のです。これに代わって、男性では意外な脳部位が活性化しました。「側坐核」(そくざかく)です。側坐核は報酬系、つまり、快感をもたらす場所です。ざまを見ろ――おそらく罰を受ける姿を眺めて悦(えつ)に入(い)っているのでしょう。実際、側坐核の反応が強い人ほど「反則行為には大きな罰が妥当だ」と判断する傾向が強いこともわかりました。つまり、男性は悪人の行った不正に対して強い制裁の気持ちが表れるのに対し、女性は、相手の善人悪人にかかわらず、罰を受けて【つらい思い】をしている人に感情移入する傾向が強いわけです。
(『脳には妙なクセがある 池谷裕二
 ある日通訳が、進駐軍の軍服、外套、軍靴を私に示し、「寒いだろうから」と言った。彼はその温かく堅牢な米軍の被服を私に着よというのである。私は、ここに勤務している多数の日本人と同じ姿になる自分を想像して、嘔吐するような反感を覚えた。私は、言下に拒絶した。
「あなたは親切心で言ってくれるのでしょうが、私は、ヒマラヤを、この体でこの二本の足で七度も越えて鍛え上げているのだ。私がこんな姿をしているのは、あなたのそんな親切なめぐみを、待ち望んでいるのとは、まったく意味が違う。私達は戦争には負けた。しかし、私は、精神的には負けてはいないのだ」
(『秘境西域八年の潜行』西川一三)

日本近代史チベット
【法則4】トラップの方向は?
・本体がロングならトラップはショート
・本体がショートならトラップはロング
(『FXくるくるワイド投資術』魚屋)

投資
 10日間、口にしていいのは、
玄米ごはん、ごま塩、水とお茶」のみ。
 ほかは一切だめ。
 ただし、好きな時に好きなだけ食べていいので空腹感はありません。
(『寝かせ玄米で七号食ダイエット』荻野芳隆)
 結界という考え方は、案外さまざまな場所にその痕跡(こんせき)を認めることができる。
 たとえば、和風建築を思い浮かべていただきたい。
 居住空間は襖(ふすま)や障子(しょうじ)で仕切られ、住宅と庭は縁側で仕切られている。いずれも非常に柔らかい印象をかもす住まいの設(しつら)えだが、じつは意図は意匠にあるのではない。それが存在することで、住人も、そこを訪れる人も、なんとなく心を改め居住まいを正す。襖、障子、縁側の本来の目的は、そういうところにある。
(『世界同時超暴落 大底からのサバイバル投資術』伊東秀廣)

投資
 たとえば90年代の初めに金丸(信)さんが北朝鮮に行きましたでしょう。そのときも金日成と二人きりで籠(こも)っしまって、出てくるとき金丸さんは感激の涙で頬を濡らしていた(笑)。もう、完全に向こうのペースにはめられてしまった。金日成というのは非常に話術に巧みな人で、金日成に会った人はみんな金日成のことが好きになってしまう。だから朝鮮総連の幹部でも、金日成に一度でも会ったことのある人は、もう絶大な金日成支持者です。(『北朝鮮発!「世界核戦争」の危機 世界を翻弄する金正恩の生き残り戦術菅沼光弘但馬オサム
 昭和の軍人のなかで、天才といわれるのは、陸軍中将石原莞爾たった一人であろう。天才というものは、百年に一人しか生まれないとすれば、石原将軍のやってのけた満州事変こそ、世界をひっくりかえすような大事件であった。
 とうじ石原は、関東軍司令官の作戦参謀であった一中佐にしかすぎない。この一中佐が、世界をおどろかせ、アジアの運命を決定する大事業を決行したのだった。
(『日本陸軍英傑伝 将軍暁に死す岡田益吉
 ちなみに、「正史」とは“正しい史実が書かれている歴史書”ではなく、朝廷が制定した「公式の史書」という意味である。これにたいして民間の史書を「野史」(やし)という。これももちろん“野卑(やひ)で粗雑(そざつ)な歴史書”などという意味ではない。この「野」は「野(や)に下る(下野)などというときの「野」である。
「本紀」とならんで「正史」の根幹をなす「列伝」も、われわれが考えるような伝説とはことなり、個人の私的な生涯を叙述するものではない。「列伝」の主題は、その人物がどの皇帝とどのようなかかわりをもったかであって、皇帝制度における公人としての生涯を記録するものである。だから、「列伝」さえ皇帝の歴史の一部なのである。つまり、中国文明の歴史は皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴史である。
(『読む年表 中国の歴史岡田英弘
 また、依頼する相手が教員でなく友だちで、場所がその友人宅であったとしても、よほど気のおけない間柄でもないかぎり、直接的な物言いはしない。「ちょっと暑くない?」「クーラーとかつけないの?」と否定疑問の形にする。あるいは、「俺的には若干暑かったりするかも、みたいな」のように、「的」「若干」「たり」「かも」「みたいな」と5箇所にぼかしを入れる。仲間うちでも、言葉のうえでは遠慮がちである。(『かなり気がかりな日本語』野口恵子)
「生野菜は体を冷やすから、サラダを食べるなら断然温野菜のほうがいい!」
 そう信じて野菜は必ず火を通して食べるという人は多いようですが、真実は逆です。生野菜を食べたほうが、体は冷えにくくなっていくのです。なぜなら、生の野菜には酵素が豊富に含まれているからです。生野菜を食べることで酵素が体内に入ると、血液の流れに関わる微小循環に作用します。血液循環が良くなれば、当然体の血行も良くなり、体は冷えにくくなります。
(『新版 健康常識のウソに騙されず長生きするための88の知恵 危険だらけの食と薬と健康法』鶴見隆史〈つるみ・たかふみ〉)
四字熟語「一獲千金」は、新聞独自の書き方である。ほんと?

「臆病(おくびょう)→憶病」「饒舌(じょうぜつ)→冗舌」「鳥瞰図(ちょうかんず)→鳥観図」「一攫千金(いっかっくせんきん)→一獲千金」「風光明媚(ふうこうめいび)→風光明美」などは新聞が独自に考案し、今も行われる代用表記。「醵出(きょしゅつ)→拠出」のように定着したものもあるが、いまだ辞書では採用されないものもある。「斑点→班点」「波瀾万丈(はらんばんじょう)→波乱万丈」のように、考案されながら、撤回されたものもある。

(『問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?』北原保雄編)
 税制上、中古資産の購入は節税になります。俗に「4年落ちのベンツの法則」といわれているものです。
 新車の普通自動車は、耐用年数6年で減価償却します。つまり、6年にわたって自動車の購入代金を分割して費用処理しなければなりません。
 ところが、4年落ちの中古車となると、耐用年数は2年になります。なぜなら法定耐用年数の一部が経過している中古資産の耐用年数は、次の式で計算されるからです。

 中古資産の耐用年数=(法定耐用年数-経過年数)+経過年数×0.2

(『FXトレード会社設立運営のノウハウ』柴崎照久)
 日本の会社の約70%は赤字といわれています。役員報酬は会社にとって経費ですので、役員報酬を高くすれば、会社の利益は減ります。仮に法人税は会社の利益に対して課税されると捉えるとしますと、利益がゼロ、赤字であれば、法人税は課税されません。
 つまり、役員報酬を必要以上に高額に設定すれば、会社に法人税はかかりませんので、日本の会社の約70%は赤字というカラクリになっているのです。
(『FXトレーダーのための法人活用』古川敬之)
 沖縄県内には「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2紙が存在し、2紙合計県内シェア97%を誇っている。主な収入源は企業広告と死亡広告である。県外紙の構成は記事対広告比率が6対4であるが、地元紙のそれは逆で4対6である。
 沖縄では個人が死亡すると、家族が紙面に家族、親戚縁者、友人、関連組織(会社)等個人属性情報を極力広範囲に提示する。そこには個人情報保護もへったくれもないのだ。葬儀は一種の祭りに近く、知り合いの親戚が死亡しても職務をいったん中断して、斎場に赴き焼香するのが習慣となっている。
 広告料は2社で寡占状態にあって、縦3cm、横6cmの最小枠でも7万円を要求される。1社に広告を申し込むと間もなくライバル社から電話がかかっているのだ。また他のネットサービス会社が死亡広告会社を立ち上げようと葬儀社にアプローチすると、その度に「地元紙との協定があって一切部外者には提供しない」と断られるという。
(『沖縄が中国になる日惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
「一草市木焦土と化せん 糧食六月一杯を支うるのみなりと謂う 沖縄県民斯く戦えり
 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」(大田實海軍少将が自決前に海軍次官宛に送った電報)
 沖縄県民のすさまじい戦いぶりが手に取るように伝わってくる文章だ。
(『報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」』宮本雅史)
 日本の軍部が武力を使用したのは済南出兵(1927)が最初であり、柳条溝事件=満州事変、以下同じ=(1931)がその次であるが、政治的恐慌というべき、軍部の外交への介入、政党への脅威などは、ロンドン軍縮会議が、そのはじまりであるというのがわたしの見解である。「柳条溝事件以来」というスローガンが戦後定着しているけれども、軍国主義ないしファッショの萌芽は実は柳条溝事件でなく、ロンドン会議であり、むしろ、柳条溝事件はロンドン会議から惹起された政治的パニックの結果といっても過言ではない。これこそ昭和史の新しい見方である。(『軍閥と重臣 新聞記者のみた昭和秘史岡田益吉

日本近代史
 エリックがビットコインの世界に飛びこんだ理由はカネであってカネではなかった。フェイスブックの投稿でビットコインの存在を知った直後から、その価値が天文学的ペースで成長するだろうと予測できた。しかしそうした成長は、ビットコインの複雑なソースコードによって、ウォール街の金融機関や各国政府など既存の権力構造が覆(くつがえ)された結果、実現するものだとずっと信じていた。インターネットが郵便制度やメディア業界にもたらした変化が、金融世界でも起きると思っていた。ビットコインが成長すれば金持ちになれるだけでなく、政府が勝手に戦争にカネを出すようなまねはできなくなり、個人が自分のおカネと運命を管理できる、もっと正しく平和な社会が実現するのだと見ていた。(『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー:土方奈美訳)

マネー
 辺野古移設問題は、より大きな沖縄問題の一部に過ぎない、と私たちは考えています。日本政府と米軍基地を槍玉(やりだま)に挙げれば、それで済まされるような話ではありません。基地の見返りとして沖縄に配分されている巨額の振興資金も含めて、「公」や「権威」に依存して自立への道を自ら封じている保守的な沖縄の体制と、その体制を事実上支えている日本政府の姿勢が問題なのです。ここでいう「保守的な体制」とは保守系政治家や財界人だけを指すのではありません。基地反対派の大部分もこの体制を支えているのです。基地容認派と反対派は、むしろ共存共栄の関係にあるといってもいいでしょう。(『沖縄の不都合な真実』大久保潤、篠原章
「インターネットは便所の落書き」と語ったのは筑紫哲也氏だが、現在、マスコミの偏向・捏造報道が、インターネットネット上で厳しく批判されている。「反日マスコミ」という、おそらくインターネット発であると思われる言葉も、ここ数年で一般でも見聞きする機会が増えてきた。インターネットの普及によって情報の受けてのメディアリテラシーの能力、意識が高まってきた結果、このような「反日マスコミ」などという穏やかならざる言葉が生まれ、流通し、一般にまで浸透してきているのだ。(『TBS「報道テロ」全記録 反日放送局の事業免許取り消しを!』)
 魚は水の性質を知っているだろうか? 魚は水中に棲み、水の中を泳いでいるからこそ水の性質を知ることができない。水を客観的に観察するには水から飛び出さなければならない。私たちとお金の関係は、まさにこれと同じだ。(『マネー なぜ人はおカネに魅入られるのか』ベルナルド・リエター:堤大介訳)

マネー
 政府案反対というより、政友会と通謀して若槻内閣打倒の陰謀をやっていた平沼、伊東の両枢密顧問官は、ニベもなく全会一致で、政府の緊急勅令を否定し、若槻内閣は総辞職してしまった。
 伊東巳代治が天皇親臨の席上で、御諮詢案と何にも関係がない、幣原外交に対して残酷なまで攻撃を加え、「知らぬは亭主ばかりなり」というような下品な悪罵を加えたのは有名であるが、のちのロンドン会議のさいといい、枢密院という奇怪な存在も『昭和のまちがい』の最大のものであった。
(『昭和のまちがい 新聞記者の昭和史岡田益吉

日本近代史
朝日新聞社]大蔵省から払い下げを受けた国有地は、中央区築地5丁目、海上保安庁水路部跡で、5丁目2番1号の1万35平方メートル、計1万4680平方メートルである。登記簿によると、5丁目2番25号地は、昭和48年1月23日、朝日が所有していた浜田山グラウンドと交換によって朝日に所有権が移転している。5丁目2番1号地は48年2月12日、売払いによって朝日の手に渡っているが、この分については、この日から10年の期間で“買戻し特約”が設定されていて、買戻権者は大蔵省。売買代金は17億271万8020円と記載されている。またこの土地には「国有財産売払い代金延納」を理由として抵当権が設定されている。債権額は29億5890万円。抵当権者は大蔵省。
 つまり、朝日新聞社は国に借金して都心の一等地を手に入れた。この地価は、昭和50年当時、3.3平方メートル当たり200万円はくだらないといわれた。それが56万円という安さなのである。
(『新聞は死んだ 驕り、偽善、エゴを衝く』片岡正巳)
 ところが、当時の実情を知る世代が高齢化していく中で、1980年代から90年代初めになり慰安婦問題が作り出された。日本人反日運動家が韓国まで出かけていって煽動し、朝日新聞などが捏造(ねつぞう)キャンペーンをした結果、慰安婦問題が日刊両国間の外交問題の大きなテーマになった。宮沢首相から謝罪を受けた盧泰愚大統領が「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚(た)きつけ、国民を憤激させてしまいました」と述べているとおりだ(『文藝春秋』1993年3月号)。(『朝日新聞「日本人への大罪」西岡力〈にしおか・つとむ〉)
中西●じゃあ『文藝春秋』昭和29年12月号に載った「私が張作霖を爆殺した」という、あの河本告白記というのは誰が書いたかというと、これは河本の義弟で作家の平野零児が書いている。彼は戦前は治安維持法で何度か警察に捕まっている人なんです。その人が河本の一人称を使って書いたわけです。その内容も当時、ほとんど誰も確認せずにそのまま活字になっているわけですね。
 ですから、張作霖爆殺が関東軍の仕業だったというのは、当時の流言蜚語、それから東京裁判での田中隆吉証言、そしてこの文藝春秋告白記と称するものに基づいているといえます。一番のポイントは当時の日本国内に、「張作霖爆殺は関東軍がやった」ということを信じさせるような充満した雰囲気が、事件が起こる前からあったということです。
(『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政

日本近代史対談
ティッピング・ポイント:最初の体内埋め込み式携帯電話の市販
2025年までに:回答者の82%がこのティッピング・ポイントが到来すると予想

 人々のデバイスへの接続時間が増えており、身体に接続されるデバイスの数が増えている。デバイスは着用されるだけでなく、体内に埋め込まれ、コミュニケーション、位置情報、行動モニタリング、健康状態の確認を行う。

(『第四次産業革命 ダボス会議が予測する未来』クラウス・シュワブ:世界経済フォーラム訳)
 昔は人を馬鹿にした見世物が多くあった。板に紅を流したのを飾って「サア大(おお)イタチだ大イタチだ」と言うので鼬(いたち)かと思って入ってみれば【板血】であったり、または「目が三つあって大きな歯の二枚ある化物だ」と言うからどんな怪物かと覗(のぞ)けば下駄(げた)が置いてあるのを見て「オヤオヤまた担(かつ)がれた、ひどい事をしゃあがる」と笑うもあり、「うまく考えたな」と誉(ほ)める人もあり、見物もノンキなもの。(『明治のおもかげ』鶯亭金升〈おうてい・きんしょう〉)
 八百屋にバナナを現金で買いに走るのが、現物取引。現金ではなくツケで買いに走るのが先渡し取引(フォワード取引)、1ヶ月後のバナナ購入を予約して、さらにキャンセル(反対売買)するかも知れないよと声を掛けるのが先物取引、バナナの代金の一部を払いあとは月末にね!と言うのが信用取引、家にあったリンゴを持ち出して、交換してよ!と頼むのがスワップ取引、そして1ヶ月後に買う権利を頂戴!と頼むのがこれから勉強するオプション取引です。蛇足にはなりますが、リンゴとバナナの交換を将来の権利として売買するのがスワプション取引です。(『実戦のためのオプション』田中勝博)

投資
 ついでにテクニカル分析について一言だけ述べます。初めて投資をする個人投資家の多くは、最初にテクニカル分析の本を手に取ります。テクニカル分析で有効性が証明されたものは、事実上、ひとつもないにもかかわらず、今でもテクニカル分析の本が存在しているということは、人間が進化の過程で獲得してきた優れた認知能力とその後の学習によって、何もないところに、パターンを見つけてしまう、あるいはパターンを見つけようとするからでしょう。テクニカル分析から得られるものは何もありません。(『週末投資家のためのカバード・コール』KAPPA)

投資
 例えば君の「便秘」だけど…
 便秘は、「不要な物を溜め込んでいる」状態だ…
 そういう人は精神的にも「不要な物」を溜め込む傾向があり
 忍耐強いが、過去の失敗を引きずりがちで物を捨てられないから、整理整頓が苦手だね
(『心の声を身体に聴いてトラウマ解消! マンガでわかる! キネシオロジー入門齋藤慶太:源ユイ マンガ)

キネシオロジー
 キネシオロジーはもともと、【人間の体や動きを観察する学問】でした。ギリシャ語のキネシス「運動、動き」と+ロゴス(学問)が語源です。

 日本語では、「人間行動学」や「人間運動学」など、様々な言葉に訳されています。

(『筋肉反射テストが誰でもできる! 1からわかる!キネシオロジー齋藤慶太
 戦後のニッポンは、新興の軍事大国、中国のように核ミサイルや空母を敢えて持とうとはしなかった。そして、同盟国アメリカの凋落を目の当たりにしながら、いまだに対外インテリジェンス機関を持っていない。ウサギは鋭い牙を持たないゆえに、長い耳をそなえて、遥か彼方に芽生えた危機をいち早く察知し身を護る。戦後に日本は鋭い牙を研ごうとはしなかった。その一方で「インテリジェンス」という名の長い耳も持たなかった。(『インテリジェンスの最強テキスト手嶋龍一佐藤優
 耳の痛い話かもしれませんが、体の柔軟性が低下するおもな原因は運動量の減少にあります。仕事や家事に忙しくなると、走る、跳ぶ、投げるといった大きな動作をともなう運動が減り、生活に必要な動きばかり繰り返すようになりがちです。そうすると体力が落ちて休日も家で過ごす時間が増え、活動量もどんどん低下。動かすことで血流がよくなり柔軟性を保っていた筋肉はいつの間にか衰え、毛細血管が減り血液が届かないため、硬く縮む一方になります。(『世界一伸びるストレッチ』中野ジェームズ修一)

ストレッチ
 日本の家紋によく使われる十大紋は「鷹の羽おもだか茗荷木瓜かたばみ」であるとされている。
 このうち鷹の羽を除く九つは、すべて植物である。日本の家紋は植物をモチーフにしたものが多い。
 一方、ヨーロッパの紋章を見ると、獅子や鷲、ユニコーンなど、いかにも強そうな動物が居並んでいる。日本にも強そうな生き物はいそうなものなのに、日本人は、どういうわけか食物連鎖の底辺にある植物をシンボルとしているのである。
 見るからに強そうな生き物ではなく、何事にも動じず静かに凛と立つ植物に日本人は強さを感じた。そして、自らの紋章として選んだのである。
(『弱者の戦略』稲垣栄洋〈いながき・ひでひろ〉)
 ヒマラヤとは古いサンスクリットの複合語で、ヒマは「雪」、アラヤは「居所」、すなわちヒマラヤは「雪の居所」の意である。それを訳して仏教には「雪蔵」または「雪貯」としてある。インドから眺めてはるか北方に輝く永遠の雪の山を、かく名づけたのであった。(『ヒマラヤ登攀史』深田久弥)

山岳
 これはイギリスの天才物理学者ホーキング博士による考えで、従来の物理学ではビッグバンの時点で特異点を生み出すことになりますが、時間と空間の区別をなくせば、つまり時間を虚数として捉えれば特異点は必ずしも必要でなくなる、というものです。(『なっとく!数学通になる本』中宮寺薫)
 長官礼ヲ返シ、眸、互イノ眸を射ル
 粗笨無頼ナル作戦ノ、最高責任者、オヨビソノ輔佐責任者
 今ヤ予期シタル無慙ノ敗北ノ、遂ニ現実トナッテ目睫ニアリ
 アラユル諫言 アラユル焦慮 アラユル自嘲 アラユル憤懣
 感無量ナルモ宜(ムベ)ナリ
 長官、挙手ノ答礼ノママ、静カニ左右ヲ顧ミ、生キ残リノ士官一人一人ノ眸を捉ウ
 イザリ寄ル幕僚(参謀)数名ト、慇懃ノ握手
 一瞬微笑マレタル如ク思ワレタルモ、ワレカネテヨリカカル光景ノウチニ勇者ノ微笑ヲ夢想シタリシ故ノ、錯覚ニ過ギザルヤモ知レズ
 長身ノ身ヲ翻シテ、艦橋直下ノ長官私室ヘ「ラッタル」を歩ミ去ル
 開戦以来、一切ニ無縁、微動ダニセザリシ長官ノ、我ラガ眼前ニ演ジタル行動ハ、スナワチ以上ニ尽ク
 ソノ後沈没マデ、長官私室の扉開カレズ マタ絶エ間ナキ破壊音ノ故カ、自決ノ銃声ヲ聞カズ
 携帯拳銃ヲ撫シツツ、身ヲモッテ艦ノ終焉ヲ味ワワレタルカ
 第二艦隊司令長官伊藤整一中将、御最期ナリ
 艦隊ココニ首上ヲ失イ、ヤガテマタ主城ヲ失ワントス
(『戦艦大和ノ最期』吉田満:鶴見俊輔解説)
 2010年、私はゲノム上の個人差のある型を【60万種類、いっぺんに調べてくれるサービスを5万円足らずで利用】しました。それによって、どのような病気にかかりやすというリスクを左右する遺伝子の型だけでなく、【こころの性質】の個人差に影響を与えるような遺伝子のどのような型を自分が持っているか、をまとめていっぺんに知ることになりました。これは近未来の話ではありません。つい数か月前、現実に私が体験したことです。(『「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか パーソナルゲノム時代の脳科学』宮川剛)
 例えば、マッカーサー自身の回顧録や占領軍内部の記録では、「占領は秩序正しく、流血なしで行われた」と記されている。だが日本側の調べた事実は逆で、特別高等(特高)警察の記録によると、進駐最初の1ヶ月で、神奈川県下で最低44件の強姦事件が発生した。それを記した特高警察は、記録を焼却された上に10月4日に解散させられている。
 さらに占領期間中には、日本本土で「少なくとも2536件の殺人、2万件以上の強姦事件が発生した」とされているが、それに対して、戦後の「言論の自由」を担(にな)ったはずの日本のマスメディアは、GHQの厳しい報道規制命令を受け、極めて無力な存在であった。直接軍政下に置かれた沖縄でも、米軍兵士による非道な犯罪が繰り返されたが、その度に日本人側の記録と記憶は、目を覆(おお)うように塗り替えられていた。
(『GHQの日本洗脳 70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放せよ!山村明義
 アラ木のうちにスミをかけるだろ? マナ木かけってわけでチョウナで落す。これに4時間ぐらいはかからア。削り台にあげてからチョウナ目を見直して、アラシコ、中シコをかけて、それからスミをうつんだ。てんづけカンナをかけるなんて雑なことはしやしねえ。スミをうったら二寸ガンナで削り、その上を三寸でムラ取り、またそいつに四寸ガンナってわけだ。
 あたしゃアこの四寸ガンナからできたカンナ屑は、惜しくってしばらく取っといたね。堂々たる四寸幅で、薄くってフワフワしてやがって、一気に二間削った長いやつが丸めると手のひらのなかへはいっちまって見えねえくらいなんだ。(味方虎児)
(『職人衆昔ばなし』斎藤隆介)
 脳から精神が現われたときは、ビッグバンのようなことが起こった。渋滞は自動車がつくりだし、その渋滞が自動車の動きを制限する。それと同じで、精神もまた、自らを生みだした脳を制限するのではないか?(『〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義マイケル・S・ガザニガ:藤井留美訳)
 近衛が死の前に「黙」という字をつねに書いていたことは、かれの護衛役だった西郷隆秀近衛文麿の伝記を書こうとした政治学者の矢部貞治に語っている。
 近衛文麿は「黙」という字を書くことによって、自身に科(ママ)した沈黙の規則を守り、怒りを抑え、誘惑を断ち切り、自分を励まし、なにも明かすことなく死んだ。
 そしてかれが最後まで沈黙をつづけたがために、われわれの意識のなかで木戸ノーマン史観は揺るぎない存在となっているのである。
(『近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任鳥居民
 繰り返し聞かされる幼い頃の出来事などの情報から、それらしい場面を思い浮かべれば、無意識のうちに記憶の隙間を埋め、細部を作り上げることができる。すると、脳が情報の断片を自分の納得のいくようにつなぎ合わせるため、まるで本物の記憶のように感じる。これは「記憶の持ち主」が意識的に行うことでなく、無意識のうちに起こる。これを起こす主要なふたつのブロセスが「作話」と「情報源の混乱」だ。(『脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議』ジュリア・ショウ:服部由美訳)
 暴力とは一時の感情において、もしくは自分の利益のみを考慮して、他者の精神や身体を傷つける行為であり、その暴力を抑止して平和と共存を作り出すものが理性である。理性は感情や欲望の激発を押さえ、自分の行動を首尾一貫させ、自然を合理的に制御して、人生の長期的な利益を実現させる。それと同時に理性は、個々人の無反省な利益追求を抑制し、人々のあいだに共存の枠組みを作り上げ、社会全体に長期的な利益をもたらす。理性と暴力の関係とはこのようなものである。(『理性の暴力 日本社会の病理学』古賀徹)
 しかし、天皇を「玉」と呼び、どこまでも政争の具として利用しておきながら、また、イギリスの支援を受けながら、「尊皇攘夷」を喚(わめ)き続けた倒幕勢力とは、「官」を名乗りはしているがその実態は「賊」ではなかったか。即ち「官賊」と呼ぶべきものではなかったか。この言葉は、大義なき戦を仕掛けられた会津人たちが、文字通り必死の防衛戦を繰り広げたその時に、実際に使った表現でもある。(『官賊と幕臣たち 列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート原田伊織
 日本人は山水庭園に関する世界一の造園家です。私たち西洋人は「絨毯(じゅうたん)式造園美をよし」とするいまだ未熟な世界にいる自分に気づきます。日本の天才は1ヤード[90センチ]角でも、1000フィート[300メートル]角の広さでも自由自在に植物を育て仕上げることができます。この国の庭師は、フランスのメイドや英国の四輪馬車御者と同様、今や米国の公共施設には欠かせない職業として重んじられています。自然を愛し花を崇拝した先祖の血筋を引く気高い日本版アダム[人類の祖]の同業集団は、生長する植物への深い愛情や、米国人には理解できない専門能力を受け継いできました。そしてこの国の農業はすべて芸術的で、ほとんど魔術的な庭造りをしています。(『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア:外崎克久訳)

日本近代史
 毛沢東(マオツォートン)――世界人口の4分の1を占める中国人民を数十年にわたって絶対的に支配し、20世紀指導者の誰よりも多い7000万余という数の国民を平時において死に追いやった人物――は、1893年12月26日、中国の中央部湖南(フーチン)省のゆるやかな丘陵に囲まれた韶山冲(村)で小作農として生まれた。(『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』ユン・チアン、ジョン・ハリデイ:土屋京子訳)
【日本は歴史上、民衆からの突き上げで革命が起きたことは一度もない】。ということは、民衆がそこまで強い不満を持ったことはない、つまりは、いつの時代でも税制はそれなりによくできていたものと思われる。それは、古代日本の税制についても言えることだ。(『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が「古代~現代史」にガサ入れ大村大次郎
 必要とあらばすぐに打てるよう常に心の準備をしておくべきだ。躊躇はない。必要なら打つとすでに決めているのだから。「攻撃的になれ」「緊張していろ」という意味ではない。単に心の準備をしておくだけだ。ある意味冷淡でなければならない。一筋縄では行きそうにない相手には「話し合いもできるが、打つべき理由があれば打つ」という覚悟を持つ。そうすると不思議なことに争いになりにくい。体のぶつかり合いになったらそれで良い。受け入れることが安全への鍵となる。そして冷淡な態度を保ちながらも、あまり強く打ちすぎないように訓練するのが大切だ。相手をストップさせるために打つだけだ。それが相手を打つための最初の準備である。相手を止める目的で打つ。不能にするまで打ってはならない。その気持ちは心に閉(ママ)まっておく。(ヴラディミア・ヴァシリエフ)
(『ロシア武術 自他を守り、心身を開発する打撃アート システマを極めるストライク!』ヴラディミア・ヴァシリエフ、スコット・メレディス:大谷桂子訳)

システマ
 この北清(ほくしん)事変において、欧米列強は日本軍の規律正しさに感嘆(かんたん)した。とりわけ彼らを驚かせたのは、日本軍だけが占領地域において略奪(りゃくだつ)行為を行わなかったという事実であった。北京でも上海でも連合軍は大規模な略奪を行ったが、日本軍だけは任務終了後ただちに帰国した。
 救援軍の到着まで、北京の公使館区域が持ちこたえたのも日本人の活躍が大きかった。11ヵ国の公使館員を中心につくられた義勇軍(ぎゆうぐん)の中で、日本人義勇兵は柴五郎(しばごろう)中佐の指揮の下(もと)、最も勇敢にして見事な戦いぶりをみせた。事件を取材して『北京籠城』(ぺきんろうじょう)を書いたピーター・フレミングは、「柴中佐は、籠城中のどの士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞讃(しょうさん)の的になった」と書いている。列国の外交官やマスコミは日本軍の模範的行動を見て印象を一変させ、「同盟相手として信ずるに足りる国である」という親日的感情を抱いた。
(『読む年表 日本の歴史渡部昇一
 1946年5月から48年11月12日の裁判終了までの約2年半の間、46年5月17日着任依頼、判事の勉強ぶりは、万人のひとしく認めるところであった。この間、公開法廷のあったのは423日であるが、宿舎の帝国ホテルと市ヶ谷台の法定とを往復するほかは、いっさいの娯楽を求めず、着任2ヵ月にして他の同僚判事との交際も断ち、ホテルに閉じこもり、膨大な証拠書類や、参考資料ととり組んだ。その精進と識見と学識は、敗戦日本人に深い感銘を与えた。(『パル判決書』東京裁判研究会)

パール判事東京裁判
 一方、当事者がほとんど鬼籍に入り、中東軍事介入泥沼化で厭戦気分が広がったこともあって、欧州戦線で、ドイツを東側から攻めたソ連兵が、略奪と強姦を繰り返したのに対し、西側から攻めた米兵は、解放者として歓迎され、規律正しく行動したという、従来の第二次大戦「正史」も見直され始めた。ソ連軍同様、米軍も略奪に加え、ドイツ人女性を強姦しながら進軍していたことなど、これまで米国でタブーとされてきた、米兵の狼藉(ろうぜき)ぶりを明らかにする書籍が、次々と刊行されたのだ。(『日本人が知らない最先端の「世界史」福井義高
 増税につぐ増税、「失業者」の増大、マッチや砂糖すら配給(切符制)、……と全国民が一斉に「貧困者」への転落を強要された。それが日中戦争の結末であった。「ぜいたくは敵だ!」の立て看板が銀座など東京に初めて立てられたのは、1940年8月1日であった。婦人のパーマネントも禁止され、ネオンサインも廃止となり、ダンスホールも閉鎖となった。
 このように、日本中が暗く貧しくなり、経済的にも破綻寸前にまでなったが、それは1941年12月のパール・ハーバー奇襲に始まる超大国の米英を相手の戦争によるのではなく、貧弱な兵器や未熟な軍隊の軍事「後進国」にすぎない中国を対手(あいて)とする戦争によってであった。日中戦争の不可解さは実はここにある。これこそはまた、表面上は「無目的」にみえる日中戦争にかけた近衛文麿らの“秘められた戦争目的”をあぶり出す鍵(かぎ)でもある。
(『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』中川八洋)

大東亜戦争
 彼と話をしたイスラム教徒は「ラーマクリシュナはイスラム教の聖者だ」と言う。クリスチャンは、「ラーマクリシュナはキリスト教の聖人だ」と言う。ヒンドゥー教のなかの各派の信者たちはみな、「ラーマクリシュナは私と同じ宗派の大覚者(パラマハンサ)だ」と言う。そして、それぞれに自分の信仰を深め、浄めていった。古今東西、こんな“宗教家”があっただろうか? 私は聞いたことがない(仏教についていえば、インドでは仏教はヒンドゥー教の一派とみなされている)。(『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯田中嫺玉
 それでも、敗戦の瓦礫の中から祖国を復興するために、経済再建の意気に燃えていた頃の自民党には、理想と教養を持つ政治家もいて保守合同に参集したが、経済力がついた70年台に政界が利権の漁場になるに従い、愚民政治による社会の退廃が急速に進み、経済の拡大に反比例して社会倫理が衰退し、政権担当は既得権擁護のためになり果てた。
 田中内閣による金権政治の横行に続いて、中曽根内閣で表と裏の社会が逆転した後は、竹下内閣で暴力団の影響が政策を動かしたので、政治の場は利権取引の舞台にと変貌した。その結果、国会の議席は二世と官僚出身がほぼ占有し、隙間を人気稼業のタレント候補が埋める形で、議会の多数派を利権屋が支配したために、日本の政治から理想や教養が雲散霧消して、国政の関心は数合わせと利権配分になった。
(『夜明け前の朝日 マスコミの堕落とジャーナリズム精神の現在藤原肇

朝日新聞
「ようするにですね、普通に帳簿をつけて、普通にガンガン経費をのっけてって……という限り、税務署側と見解の相違が出て『支払いなさい』となったところで、せいぜい本来払うはずだった税額の3割増し程度なんですよ。しかも3割増しっていったって、追加分に対して3割増しってだけだから、実質はもっと下ですよね」(『フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。』きたみりゅうじ)
 平手打ちから髪の毛を掴んで引きずり回して壁に打ちつけます
 むかつく・チクるなどの汚い言葉遣いをした子供は徹底的に痛めつけましょう
 罰として1人で掃除とか1日中正座とかは体はキツくても案外平気で叩かれなければ大抵のことは我慢できた
 それよりもその怒られているシーンを他の子たちに見られていることが恥ずかしかったり 怒られた後、食事抜きになるのがひもじかったり、1人だけ違う部屋に隔離されるのが寂しくて精神的にはキツかった
(『カルト村で生まれました。』高田かや)

ヤマギシ会
 今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句のつけようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。
 したがって宗教は、【超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度】と定義できる。
(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之訳)
 アメリカは日本に対して外貨(すなわち円)で交易しているわけではない。ここが国際決済通貨=ドルをかかえた国とそれ以外の国との基本的な差である。アメリカには対外貿易などないのである。
 また、アメリカが受け取る外国からの投資についても、これはアメリカの国としての統計上は対外債務として計上されるが、その大半は利子など払う必要もなく、たとえ払ったとしても、国内の債権者に払うのと同じドル建てであり、「対外」債務とはいいがたい。
(『ボーダレス・ワールド』大前研一:田口統吾訳)
 こゝから所謂志士「青年将校」の出現となり、この青年将校を中心とした国家改造運動が日本の軍部をファッショ独裁政治へと押し流して行く力の源泉となつたのであるがこの青年将校の思想内容には二つの面があることを注意する必要がある。その一つは建軍の本義と称せられる天皇の軍隊たる立場で、国体への全面的信仰から発生する共産主義への反抗であり、今一つは小市民層及貧農の生活を護る立場から出現した反資本主義的立場である。(『大東亜戦争とスターリン 戦争と共産主義』三田村武夫)

日本近代史
 沈黙には多くの性質がある。音と音の間の沈黙、ふたつの調べの間の沈黙があり、また思考と思考の間隙で広がっていく沈黙がある。あるいは田舎の夕暮れに訪れるあの不思議な静寂のうちに、四面に広がっていく沈黙がある。また、どこかの犬の遠吠えや急な斜面を登るときの汽車の汽笛の背後にある沈黙、家中の者がすべて眠りについたときに家の中に生まれる沈黙、さらには真夜中にただひとり目覚め、谷間でほうほうと鳴くふくろうの声を耳にしたときの異様に深々と強まりゆく沈黙。さらにはふくろうの仲間が応え返す前の沈黙がある。あるいは古い廃屋のまわりに漂う沈黙があり、山の持つ沈黙がある。さらには互いに同じものを見、おなじことを感じ、同じことをしたふたりの間に生まれる沈黙がある。(『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 実は、最古の宗教行為の存在を示唆するネアンデルタール人の墓や礼拝所は、最古の人類文化の存在を示唆する品々(陶器、複数の部品を組み立てて作った道具、原始的な生活雑貨など)と同じ時代に作られたことが分かっている。この事実は、ヒト科の動物が人間らしい振る舞いをはじめた途端に、存在の深遠な謎について思いをめぐらせたり、実存的な不安に苦しんだりするようになり、物語を作ることで解決を見出そうとするようになったことを意味している。彼らが作った物語のことを、われわれは今日、「神話」と読んでいる。(『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンスアンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳)

科学と宗教脳科学認知科学脳神経科学
 高砂族の首狩りは、つぎの要求から行なわれた。
 1.武勇を示すため……結婚の条件を得るため、または男性の名誉のため。
 2.成年男子の資格を得るため……成年にならなければ個人としての人格が認められない。
 3.身の潔白を示すとき……無実の罪をはらすため。
 4.復讐のため
 5.怨恨のため
 6.他種族、他部落との利害関係
 7.神霊を慰めるため……悪疫、災害のあった時、または豊作、豊猟をまねくため。
(『台湾 高砂族の音楽』黒沢隆朝)

台湾
 中庸とは、対峙する二つの理論や立場の中間の平坦な盆地に自分を安らわせることではなく、いかなる抽象的概念的な極端論にも与(くみ)せず、ひたすらに真実を求めて、自ら正道を切り開くことなのである。(『「自分で考える」ということ澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉)
 諸君もわかっていることと思うが、幸せというのは、非常に脆(もろ)いものだ。なぜなら、不幸がきちんとした基盤を持った確固たる具体的事実であるのに比べて、幸福は基本的には根拠も実態もない、「幸福感」という頼りのない気分であるに過ぎないからだ。(『「ふへ」の国から ことばの解体新書小田嶋隆
 歴史を考えるとき、モンゴルのように、それまで周縁的としか思われてこなかったもの、むしろ排除されてきたものを軸として、歴史の見かたをガラリと転回させることができる。『世界史の誕生』を読み、私はそのことに感動するのです。史料の徹底的な探索をもとに、だれも思いもしなかった方向へ歴史イメージをかえてしまう。地道な学問的努力と、史的想像力の切っ先のするどさに心を打たれるのです。(『〈狐〉が選んだ入門書山村修
 少年はうす汚れていた。衣服は破れ、洗われておらず、そして彼の顔は攻撃的なほど鋭く、もの言いたげだった。誰も彼に笛の吹き方を教えなかったし、また誰もそうしようとはしなかった。彼は自分の力でそれを覚えたのである。そしてその映画音楽がころがり出たとき、その調べの純粋さは途方もないものだった。不思議にも、精神はその純粋さの上に浮かんだ。数歩進んでから、精神は木立を抜け、家々の上を通って海へと向かい続けた。その運動は、時間と空間の中にではなく、純粋さの中にあった。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 神は、教会の中に、それともわれわれの心の中に見出されるべきものだろうか? 慰められようとする衝動は幻想を生むもとになる。教会、寺院、そしてモスクを創り上げるのは、この衝動なのだ。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 われわれの存在のあらゆるレベルに逃避がある。あなたは仕事によって、ある者は飲酒によって、ある者は宗教的儀式によって、ある者は知識によって、ある者は神によって、そしてさらにある者は娯楽に耽ることによって逃避する。あらゆる逃避は同じであり、優れた逃避も劣った逃避もない。神と飲酒は、それらがあるがままのわれわれからの逃避であるかぎり、同じレベルにある。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
 改宗とは、ある信念またはドグマから別のそれへの、ある儀式からより満足のいくそれへの変更であって、それは真実へのドアを開くものではない。(『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1J・クリシュナムルティ:大野純一訳)
「ニッポンは、古き文明の極致に達している」とクリストファー・ドレッサー博士[英国の装飾デザイナー、1834-1904]が語るように、日本国民はあらゆる芸術を完成させながら、演劇についても極めてこれに近い状況に達したことは驚くに及びません。演劇は困難な時代にじっくりと堪(た)え、現在の姿(※能)に到達しました。(『シドモア日本紀行』エリザ・R・シドモア:外崎克久訳)

日本近代史
 かのABCDラインは事実上の対日宣戦布告であったと米国でもその強引さが考証されている。最終的に戦争に勝利したとはいえ英蘭にとっては歴史的大迷惑であった。
 開戦早々に、英国海軍の戦艦プリンスオブウェールズとレパルスが撃沈され、世界一難攻不落を誇ったシンガポール要塞は実質3日で陥落(かんらく)、フィリピンではマッカーサーが屈辱の夜逃げ、あげくの果てには英蘭無条件降伏と彼らの白人優越感がたたき壊されたのだ。たかが黄色人種の一国に海で怯(おび)え、空でゼロ戦に追い回され逃げ回るなど想像もしなかったろう。
 この太平洋戦争は300年も植民地支配されて虐(しいた)げられてきたアジアに自信と勇気をもたらした。
(『余命三年時事日記』余命プロジェクトチーム)
 無理やり連れてきた5人は帰した。残りは死亡したというのが金正日の言い分です。しかも日本が拉致被害者としている人たちは、拉致の時点で横田めぐみさん以外すべて大人です。そこで何かあったにせよ、横田めぐみさん以外はある部分自分の意思で北朝鮮に行っている。例えば、金正日の料理人を自称している藤本健二氏にしても自分の意思で行った。(中略)
 有本恵子さんとか松本薫さんとかもそうです。もっとも私に言わせればあの二人はすぐれて日本赤軍の問題です。もちろん北朝鮮が援助したのは間違いありませんが、日本赤軍に参加するために平壌に行った。あの二人の平壌での行動はまさに反革命的行動であり、日本赤軍のなかにとどまっていたら本当に粛清されたかもしれない。そう考えてくると、拉致問題で残っているのは唯一、横田めぐみさんだけなのです。
(『この国を脅かす権力の正体菅沼光弘
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけでなく、【集団】でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之訳)
 災いは一般には【社会的】観点から解釈される。(『神はなぜいるのか?パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳)

科学と宗教
 こうして、賭けに勝ったときはそれを額面どおりに受け入れる一方、賭けに負けたときには、その理由を巧妙に見つけて説明づけてしまうことにより、ギャンブラーは、自分の賭けの勝ち負けの記録を個人的に書き換えてしまうのである。つまり、賭けの負けは、「負け」としてではなく、「勝てたはずのもの」として記録されることになる。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるかトーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)

認知科学科学と宗教
 行くとき、自己より勝れた者や 自己に等しい者に会わねば
 独り堅固に行くがよい 愚者には友の資格なし(法句六一)
(『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道片山一良

ダンマパダ
 体育時間、余りにくにゃくにゃしているのを見兼ねた分隊長・唐木大尉より一発殴られた。士官教官が自ら手を出すのはよくよくのことである。
 ところが菊地は、平然としてかえって斜になって分隊長の前に擦り寄って行った。何をしているのか、変なことをするな、と思って見ていると、分隊長も不思議そうに一、二歩下がった。さらに擦り寄って殴られなかった方の右頬を突き出して「こちらもどうぞ」とやった。私たちも驚いたが、分隊長の顔も怒りのためさっと赤くなった。それより早く回りで見ていた教官たちが「貴様ッ」とばかり殴りかかっていった。
 顔の形が変わるほど殴られても「汝左の頬を打たれなば右頬をも出せ、だ。殴って気が済むなら気の済むまで殴ってもらおう」と、万事この調子なので、私の組では、精神教教育と称して彼が一番叩かれ通したが、遂に信念は曲げなかった。
(『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』角田和男)

日本近代史戦争
 確信とは、それがどう感じられようとも、意識的な選択ではなく、思考プロセスですらない。確信や、それに類似した「自分が知っている内容を知っている」という心の状態は、愛や怒りと同じように、理性とは別に働く、不随意的な脳のメカニズムである。(『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン:岩坂彰訳)
 内閣書記官長だった富田健治風見章〈かざみ・あきら〉、首相秘書官だった岸道三〈きし・みちぞう〉、牛場友彦、一高時代からの友人である山本有三後藤隆之助〈ごとう・りゅうのすけ〉、山本は作家、後藤は京大時代から特に親しくなった友人で近衛の政治ブレーン。さらに元同盟通信の松本重治〈まつもと・しげはる〉、東京帝大文学部教授の児島喜久雄〈こじま・きくお〉、かつての近衛内閣文相だった安井英二などである。
 政治臭さが感じられないで、わずかな側近と作家やジャーナリストや大学教授ばかりが最後の宴に揃っていることがいかにも近衛らしい。(中略)
 皆は帝大病院へ入院させる手立てを考えていたが、近衛は夕方になってさらにこうまで言った。
「巣鴨行きを猶予してもらうことは、やめにしたい」
 ひとことゆっくりだが、きっぱりと言い切った。
(『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇工藤美代子

天皇近衛文麿日本近代史