例えば、「おもふ(おもう)」という日本語には、モノを考えるという意味はないのです。「おも」は顔のこと。それが動詞化した「おもふ」はうれしいことや悲しいことが「ぱっと、顔に出る」という意味です。その「おもふ」が漢字に出会って、深化していったのです。
漢字の「思」の上の「田」は頭脳の形で、頭がくさくさするの意。「念」の「今」の部分はモノにふたをする形で、じっと気持ちを抑えている意味。「懐」は死者の衣の襟元に涙を落として哀悼すること。「想」の上の部分の「想」は茂った木を見ると心に勢いが出てくる、つまりモノを見て心が動くこと。ですから「想」は、この心の勢いを人に及ぼし、遠くおもいを馳せること、おもいやることです。
(『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』白川静監修:小山鉄郎編)