私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史をたどった言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
 それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
(『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗〈みずむら・みなえ〉)
 陳蕃(ちんばん)は自室でくつろいでいた。庭はというと、草はのびほうだいでまことにきたならしい。そこに父の友人で薛勤(せっきん)という者がやってきて、ちらりと庭に目をやってから、陳蕃にむかって、
「孺子(じゅし)よ、庭の掃除をして賓客を待つものだぞ」
 と、叱るようにいった。すると陳蕃が、
「大丈夫(だいじょうふ)の処世というものは、天下の掃除をおこなうものであって、家の掃除などはするものではありません」
 と、答えたので、薛勤は15歳の童子に清世(せいせい)の志(こころざし)があることを知り、ふしぎにおもったという。
(『三国志宮城谷昌光
「天知る。地知る。我(われ)知る。子(なんじ)知る。たれも知らないとどうして謂(い)えるのか」
 これが四知である。
 どんな密事でも天が知り、地が知り、当事者が知っている。それが悪事であれば露見しないことがあろうか。
(『三国志宮城谷昌光
 変形性膝関節症は、退行性(たいこうせい)によるひざ関節の骨や軟骨の病変です。
 一般的に、この病変は関節を長年使用したために軟骨がすりへって発生するとされていますが、私どもの考え方は少し違います。
 ポイントは同じ軟骨の状態ですが、主要因としては摩耗というより、弾力性の低下=機能の低下のほうにあると考えています。
(『ひざ痛を自分で治す本本』大谷内輝夫〈おおやち・てるお〉)

膝痛
 私が特に驚いたのは、実験終了後、参加者に聞き取り調査をしたときでした。腰割りの効果が、運動能力と体型の変化だけでなく、ほとんどの参加者から不調の改善の報告がどんどん上がってきたのです。

・肩こりが緩和した
・腰痛・ひざ痛が緩和した
・冷え性が改善した
・むくみにくくなった
・食欲が増した
・生理痛が改善した
・体のだるさがとれた
・長時間、長距離を歩くのが楽になった
・階段の上り下りが楽になった
・ゴルフスイングのふらつきが軽減した

(『「腰割り」で体が若返る 肩こり・腰痛・ひざ痛など体の不調を改善するお手軽体操』白木仁〈しらき・ひとし〉)

筋トレ
 西洋で誕生したネジに日本人が初めて出会ったのは、種子島(たねがしま)に鉄砲が伝来したときのことであった。鉄砲の銃尾に使われていた鉄製ネジに、日本人は首をかしげるばかりだった。どうやってこんな部品を作れたのか。種子島の領主の種子島時尭(ときたか)は鍛冶職人の八板金兵衛に、ポルトガル人から贈られた火縄銃の模造を命じた。金兵衛は筒などは作ることができたが、銃便の尾栓(びせん)と呼ばれるネジの作り方がわからない。ボルトの役割を果たす雄ネジについてはなんとか作れても、ナットの役割を果たす銃尾の雌ネジの作り方は見当もつかなかった。言い伝えによれば、万策(ばんさく)つきた金兵衛は、娘をポルトガル人に嫁がせることでネジの作り方を学ばせようとした。そうしてネジの作り方をなんとか知った金兵衛は、鉄砲を完成させ藩主に献納することができたというのである。(『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦〈はしもと・たけひこ〉)
 たとえばイタリアでは、フォークだけを使って食べる場合、空いているほうの手をテーブルの端に置いてすっかり見えるようにしておくのが正しいとされている。アメリカでは行儀が悪いと見なされるかもしれないが、そもそもこの習慣は、食卓の同席者に手を見せて、武器を持っていないことを示した時代に端を発するのである。(『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』ヘンリー・ペトロスキー:忠平美幸〈ただひら・みゆき〉訳)
「稽古のひどい時には、この辺で足が上らなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわなければならぬかと、自然に涙が出て来る」
「ほんとに涙が出るんですか」
「そりゃあ、出る。1年にはいって、1学期の間は、毎日のように、この坂の途中で涙を出す。実際に足が上らなくなるんだから、涙だって出て来ますよ。だが、1学期が終ると、大体諦めてしまう。こういうものだと思ってしまう。僕などは、現在、そうしたところへ来ている。鳶のように深刻に考えたりしない。たいしたこではない。3年間、捨ててしまうだけの話なんだ」
(『北の海井上靖

七帝柔道記
 人間はその殺害能力を二つの手段によって、飛躍的に向上させた。一つは道具の使用によって、もう一つは集団の力を借りることによってである。(『中核VS革マル立花隆
 石油の価格が安定していた最後の年、つまり2004年には、石油から作った自動車用の「ガソリン」をスタンドで買うと、1リットル100円なのに、その隣のコンビニエンスストアで「水」を買うと、500ミリリットルのボトルで130円という珍現象が起こっていたのです。「ガソリンが1リットル100円」の時に、「水が1リットル260円」というのは、いくらなんでもおかしな現象ではないでしょうか。それを何とも思わなくなったのですから、まったく人間の慣れとは恐ろしいものです。(『偽善エネルギー武田邦彦
 金日成が、我々在日同胞に何をしてくれたというのか。あの男が我々に与えたものといえば、幻想だけではないか。しかし非常にしばしば、幻想は現実より魅力的に映るものだ。若いころはことにそうだ。金日成がつくりだした幻想はこのうえなく甘美だった。私たちはそれに酔った。(『わが朝鮮総連の罪と罰 』韓光煕〈ハン・グァンヒ〉、野村旗守〈のむら・はたる〉取材構成)

北朝鮮
 昔の写真を見ると、主婦が大そうじに取りかかるとき、よくたすきがけをしています。実際に試せばわかりますが、たすきがけをすると、作業がしやすくなります。
 また、何か集中力を発揮する必要があるときに、昔は、はち巻きをしたものです。武道の道着を帯で締めたときにも、同様のことが起こります。体は安定し、動きやすくなる効果があるのです。
 このように日本人は、体にひもを巻くことの効果を体感し、知恵として上手に利用していたのです。
(『ひもを巻くだけで体が変わる!痛みが消える!小関勲〈こせき・いさお〉監修)
 曲泉(きょくせん)とは、ひざの内側で、ひざを曲げたときにできるシワの先端にあるツボ。【ひざ関節の間で、軟骨がすり減り、変形するところなので、ひざの悪い人は痛みを感じるところです。下半身の悩みによく効くツボとして知られています。】(『ひざ痛が消える!魔法の5秒体操』中村弘志)

膝痛
 わが国が戦争に負けた1945年8月14日のアメリカの新聞ニューヨーク・タイムズは「我々は初めてペリー以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ」と書きました。この記事は、ペリー以来のアメリカのねらいが何であったかをよく示しています。ペリー来航はマニフェスト・ディスティニー(明白なる運命)と名づけられた世界戦略が、わが国に矛先(ほこさき)を向けた歴史的事件にほかならなかったのです。(占部賢志〈うらべ・けんし〉)『教科書が教えない歴史藤岡信勝、自由主義史観研究会

日本近代史
 ひざ痛の大きな原因となるO脚を改善するには、足の外側に偏っている重心を、意識的に足の親指寄りに戻し、「内側重心」にする必要があります。
 しかし、「内側に重心をかけよう」とただ意識するだけでは、すぐに忘れてしまうのが人間です。ところが、親指にバンソウコウを巻いておくと、歩行のさい、そこに普段とは違う圧力がかかるので、自然に親指に意識が向き、内側重心になるのです。
(『ひざの激痛を一気に治す自力療法No.1』)

膝痛
 実は、ほとんどの人の足指は、曲がったり浮いたりして変形しており、動いていません。
 足指が動かないで足元が不安定になると、体の筋肉は余分な力を使ってバランスをとろうとします。
 その不自然な力が、体にゆがみを生じさせ、ひざや腰、股関節などの痛みにつながるのです。
(『足・ひざ・腰の痛みが劇的に消える「足指のばし」』湯浅慶朗、今井一彰監修)

膝痛
 リンパ液と血液の流れを促進するのが、足指しごき。最初は痛く感じるかもしれませんが、それこそリンパ液と血液の流れが停滞している証拠。毎日つづけると、痛みがやわらいで心地よくなってきます。そのころには、リンパ液も血液も正常な流れになり、ひざ痛などの不快症状も改善していることでしょう。(『ひざの痛みがみるみるよくなる100のコツ』主婦の友社編)

膝痛
【大腿四頭筋のストレッチ 10秒間×5回】うつ伏せになり、左手で左脚をつかむ。かかとをできるだけお尻に近づけて、太ももの前側の筋肉を伸ばす。10秒間保ったら、下に戻す。これを繰り返す。右側も同様に行う。(『ひざ痛を治す 正しく動かす 元気に歩く』宗田大監修、NHK出版編)

膝痛
 いつの日か、3Dプリンティングによって人工知能はコンピュータから現実世界にもち込まれるだろう。ロボットはもう古い。サイボーグは1990年代の文化の遺物だ。未来は、プログラム可能な物質、つまり振る舞いをプログラムでき、選んだ形で3Dプリントできるような素材にある。(『2040年の新世界 3Dプリンタの衝撃』ホッド・リプソン、メルバ・カーマン:斉藤隆央訳、田中浩也解説)
 片足立ちはバランス能力を高めます。転びにくくなって歩くのが速くなり、階段の上り下りがスムーズになります。歩くときも、階段の上り下りも、動作の半分は片足で立っています。その間のふらつきが少なければ、スムーズに動けるのです。逆に片足立ちのバランスが悪いと、1歩1歩確認しないと歩けなくなり、階段も怖くて踏み出せません。(『ひざ痛が消える「片足立ち」の魔法 整形外科学会が提唱する「ロコモ体操」の威力』石橋英明)

膝痛
 今日の政治は、概念に依拠したある種の普遍的な病であると見なすことができますし、宗教の方は空想と虚構の入り混じった感傷主義であると考えることができます。現実のできごとを観察してみれば、こうしたものはどれも概念を操る思考の仕業であり、毎日のみじめさや人生の混乱・失望を回避するための手段であることがわかるでしょう。(『アートとしての教育 クリシュナムルティ書簡集J・クリシュナムルティ:小林真行訳)

学校への手紙
 人は、春に生まれ、盛夏を生き、秋を迎えて冬となり、やがて死んでいく。
 人は生き、死んでゆく。
 ただそれだけのことだ。
 春に死ぬ者もあれば、夏に死ぬ者も秋に死ぬ者もいる。
(『VTJ前夜の中井祐樹増田俊也〈ますだ・としなり〉)
 年縞(ねんこう)と呼ばれる特殊な堆積物は、このような状況に風穴を開けることで脚光を浴びた。年縞とは、1年に1枚ずつ形成される薄い地層のことである。そのような地層を1枚ずつ削り取るように分析していけば、何万年も前に起こった出来事であっても、その推移を1年ごとに詳細に復元することができる。(『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』中川毅〈なかがわ・たけし〉)
 AKA-博田(はかた)法は、当時、国立南大阪病院の理学診療科医長の博多節夫先生が開発された、痛みとリハビリに対する手技による新しい治療法で、その理論と実演の内容から、これこそ私が長く探し求めていた治療法であると直感しました。(『その痛みはきっと取れる! 整形外科の画期的治療』住田憲是)

膝痛
 ひざ痛の本当の原因は半月板の亜脱臼である(『半月板のズレを戻せばひざ痛は治る!』中村昭治)

膝痛
 まず椅子に浅く掛け、膝を少し上げて膝下を前後に振ります。膝下の振るスピードはゆっくり振ります。(『自分で治す病気の数々 痔 膝痛 腰痛 肩こり 認知症 椎間板ヘルニア』谷幸照)

膝痛
 厚生労働省の研究班の出した推計では、変形性ひざ関節症などのひざ痛を抱える人は、予備軍を含めると2500万人にものぼるそうです。つまり、日本人のおよそ5人にひとりは、何らかのひざのトラブルを感じているわけですね。(『ひざ痛は99%完治する』酒井慎太郎)

膝痛
 被災者たちの話を聞いてみればいい。彼らはほぼ例外なく「どうしてなんだ?」「なぜわれわれなんだ?」「なぜこの場所で?」「どうして今?」と口にするだろう。わたしたちは理由が知りたいのだ。だが、たいていこの種の出来事に理由などない。出来事自体には原因があるだろうが、「なぜわれわれなんだ?」式の疑問に対する理由はないのだ。(『世界はデタラメ ランダム宇宙の科学と生活』ブライアン・クレッグ:竹内薫訳)

偶然
 なお、品質工学というのは、田口玄一博士という、れっきとした日本人が考案した新しい学問であり、1980年にアメリカのベル研究所で成功を収め、世界的には「タグチメソッド」と呼ばれるようになった。そして1980年代に、アメリカの技術が日本に負けたのではないかと言われた時代に、田口博士は「アメリカをよみがえらせた男」と呼ばれた。(『そこにはすべて「誤差」がある なぜ予想違い・誤診・偽装が起こるのか?』矢野宏)
「はかる」という言葉はたくさんの漢字で表されることでよく知られている。「測・量・計・図・謀・諮」が代表的なところで、そのほかにも「忖・画・度・称・秤・料・評・詢・衡……」など、数多い。要するに、大昔から使っていた「はかる」という言葉に、輸入された漢字を適当に当てはめているわけだが、この適当ぶりを見てみるとなかなか興味深い。(『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編)
【「ひざの痛みの86%は、どちらかの体操で改善する」】という結果が、当院での調査から出ています。どちらかの動きでひざの痛みが軽くなったのなら、本書でお話しする「痛みナビ体操」で、あなたのひざの痛みはさらに改善する可能性が高いといえます。(『3万人のひざ痛を治した!痛みナビ体操』銅冶英雄〈どうや・ひでお〉)

膝痛
 鮎太は、この時、何か知らないが生れて初めてのものが、自分の心に流れ込んで来たのを感じた。今まで夢にも考えたことのなかった明るいような、そのまた反対に暗いような、重いどろどろした流れのようなものが、心の全面に隙間(すきま)なく非常に確実な速度と拡がり方で流れ込んで来るのを感じた。不思議な陶酔だった。(『あすなろ物語井上靖
 その翌年の2011年の特殊教育学会は弘前で開催されました。弘前大学が準備を引き受けることとなり、「自閉症児・者の方言使用について――『自閉症はつがる弁をしゃべらない』との風聞の検討」というタイトルで準備委員会企画シンポジウムをおこないました。
 この準備委員会企画シンポジウムから、方言学者である弘前大学の佐藤和之先生に参加していただきました。佐藤先生からは、【自閉症者は方言を話さない】という現象について方言と共通語の使い分け行動と対人距離の関係など、方言の社会的側面からの役割が説明されました。この解釈こそがその後の私たちの理論的検討の方向性を決めることになります。
(『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』松本敏治〈まつもと・としはる〉)

自閉スペクトラム症(ASD)
 本当はもっと悪辣(あくらつ)でした。
 まず、「政府が赤字国債という名の借金証文を出して国民からお金を借り(そのお金を返す気はなく)」→「“貸した国民”を“借りた国民”という言い方に180度入れ替え、“子供たちのツケ”という言い方にして」→「借りている国民が、そのお金を“消費税”というかたちで払わなければならない」……というのがNHKなどの報道でした。
(『給料を2倍にするための真・経済入門武田邦彦
 未来のテクノロジー生活は、終わることのないアップグレードの連続となる。そしてその頻度はどんどん高まっていく。性能は変化し、デフォルトというものはなくなり、メニューが姿を変えていく。いつもは使わないソフトを開いてある機能を使おうとしたら、メニューそのものがすべて消えていたということも起こるだろう。(『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー:服部桂〈はっとり・かつら〉訳)
 革新的だったのは、日本人は硬いがもろい高炭素鋼を、強靭だが軟らかい低炭素鋼と区別できたことだ。彼らは見た目と、手に持った感じと、たたいたときの音だけで判断していた。種類の違う鋼鉄をより分けることで、彼らは確実に低炭素鋼を刀の心金に用いることができた。それにより刀はたいへん強靭に、あるいはねばり強くなり、刀が戦(いくさ)で折れる可能性はほとんどなくなった。(『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク:松井信彦訳)
 火のついた家は向こうにあると、私たちは思うのですが、それはここ、内にあるのです。私たちは最初に自らの家に秩序をもたらさなければならないのです。(『明日が変わるとき クリシュナムルティ最後の講話J・クリシュナムルティ:小早川詔〈こばやかわ・あきら〉、藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳)
 砂漠の嵐作戦に至る道を開いた責任は、ほかのだれにもましてブッシュとベーカーが負うべきである。彼らはイラクの核兵器製造能力一掃のためだとあの戦争を正当化したが、その能力こそは、米国が援助を与えて育成したものにほかならなかった。クウェートの主権を守るという大義名分が強調されたが、この場合もワシントンにとって肝心なのは、石油の利権確保なのだった。(『だれがサダムを育てたか アメリカ兵器密売の10年』アラン・フリードマン:笹野洋子訳)
 ガラスのない世界には、大聖堂のステンドグラス窓も、現代の都市景観のつややかに光る壁面もなくて、文明の体系が変わるだけではない。ガラスのない世界では、近代的発展の根本、すなわち、細胞やウイルスや細菌の理解によって延びた寿命、何が私たちを人間たらしめているかに関する遺伝子の情報、宇宙における地球についての天文学者の知識、すべてが打ち砕かれる。このような画期的概念にとって、ガラスほど重要だった物質は地球上にほかにない。(『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン:大田直子訳)
 乱取りが始まると、あちこちで阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図が現出する。
 立技(たちわざ)では板敷きの剣道場やコンクリート敷きの玄関まで引きずっていかれ、叩きつけられることもあった。彼らは巻き込んで投げ、投げたあと私たちの体に思いきり体を乗せてくるので、その瞬間、死ぬのではないかと思うほどの痛みと恐怖を感じた。寝技でも体力に差がありすぎ、すべての技を封殺された。
 私たちは壁にぶつけられ、鉄製ロッカーにぶつけられ、絞め落とされて失禁した。怒らせると肘(ひじ)や頭突きも飛んできた。
(『七帝柔道記増田俊也〈ますだ・としなり〉)

北の海
 その第一の理由は、破壊的カルトは、その組織に参加していこうとする人びとに対して、何か重大な彼らの充足させたい欲求や必要物を与えているからである。つまり、破壊的カルトのメンバーは、その集団内で生活することによって、それまで欠けていた剥奪感や空虚感から救われ、主観的な意味での幸福を手にすることになるからである。(『マインド・コントロールとは何か』西田公昭)

マインドコントロール
 私は黙った。黙ったと同時に井上(ひさし)さんの平手が頬を打った。
 それからはまるで狂った狸に襲われるように、あちらからこちらから滅茶苦茶に手が飛んできた。イスにぶつかりベッドに押し付けられ、机の下で首を締められる。とっさに頭をかばった。
 ここで殺されるにしても顔と頭だけは最後まで正気でいたかった。逃げれば追って来る。声など出ようがない。
 戻ってきたマスさん(井上の実母)はその修羅場に遭遇した。
「あ、やめなさい、ひさし君! こんな女に手を上げてはあなたがもったいない」
(『表裏井上ひさし協奏曲西舘好子〈にしだて・よしこ〉)
 昭和40年ぐらいまで、国家も警察もヤクザを“必要悪”として認めていたんだ。終戦直後の混乱期にはむしろ、治安維持にヤクザを利用してきたし、日米安保のときには左(翼)の連中や学生を押さえつけるために右翼やヤクザを使ってきたしな。ところが、その頃から錦政会や住吉会がどんどん大きくなってきたわけだ。そこで国は、今度はヤクザを押さえにかかった。それまで目をつぶってきた博打を非合法化して締め上げ、とどめが頂上作戦だ。(『憚(はばか)りながら』後藤忠政)
 2つの変数の関係が因果関係なのか、相関関係なのかを確認するために、次の3つのことを疑ってかかることをおすすめしたい。その3つとは、

 1.「まったくの偶然」ではないか
 2.「第3の変数」は存在していないか
 3.「逆の因果関係」は存在していないか

 である。

(『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法』中室牧子〈なかむろ・まきこ〉、津川友介)
 他の人の叙述をとおして、愛について知ることはできません。(『花のように生きる 生の完全性J・クリシュナムルティ:横山信英、藤仲孝司訳)
「パーソナルデータは新しい石油である。21世紀の価値ある資源であり、新たな資産である」
 欧米ではこうした考え方が今や共通認識となりつつある。日本でも、「ビッグデータ時代の到来」という掛け声とともに、企業がこうした購買履歴やウェブサイトの閲覧履歴などの「パーソナルデータ」を収集する動きが加速している。
(『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴)
 人の行動も特別ではない、というのがここでの結論だ。人間の行動には、原子の運動や電磁波と同じような意味で、厳密な「エネルギー」が定義できるわけではない。しかし、腕の動きの回数の分布は、原子のエネルギー分布と同じ式で表される。
 これは偶然ではない。この一致は、両者がいずれも有限の「資産」のやりとりを繰り返した結果現れるものだからである。
(『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男)

ビッグデータ
 ここで本当に学ぶべき事柄は、ワインやペプシとは何の関係もない。飲み物とブランドについて言えることは、世界に対するそれ以外の経験にも当てはまるということだ。直接的で明確な側面(いまの場合は飲み物)と、間接的で暗黙の側面(値段やブランド)の両方が相まってはたらくことで、精神的経験(味覚)はつくりだされる。ここでのキーワードは「つくりだす」。人間の脳は、味などの経験を単に記録しているのではなく、それを【つくりだしている】のだ。(『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学するレナード・ムロディナウ:水谷淳訳、茂木健一郎解説)

無意識
【目的、方法、程度、結果などを見て、それらが「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱している場合は、これを「マインド・コントロール」と判断して問題視すべきである。】私はそう考えています。(『決定版 マインド・コントロール』紀藤正樹〈きとう・まさき〉)