連合軍のほうでは、日本のこの態度を拒否ととったのであろう。8月6日に、広島にひどい爆弾を落とした。議会でも、その性質がいっこうわからなかった。その時の日本での物理学の第一人者、仁科芳雄博士に頼んで、広島へ飛行機でとんでもらって、この爆弾の性質を調べてもらうこととなった。
 仁科博士は、【これは原子爆弾というもの】であると報告された。
(『秘録 東京裁判』清瀬一郎)

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