マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山黒木乃木東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
 マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
 それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)

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