本書の目的は、ごく簡単なことだ。今日の科学は、「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」という問題に、さまざまな角度から取り組めるようになっているし、現に取り組みが進んでいるということを知ってほしいのである。そうして得られた答えはどれも――それらは驚くばかりに美しい実験で観察され、現代物理学の屋台骨というべき理論から導かれたものだ――何もないところから何かが生じてもかまわないということをほのめかしている。かまわないどころか、宇宙が誕生するためには、何もないところから何かが生まれる必要がありそうなのだ。さらには、得られている限りの証拠から考えて、この宇宙はまさしく、そうやって生じた【らしい】のである。(『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス:青木薫訳)
 人は敵対する相手によって定義され、力を与えられるものだ。(『スキン・コレクタージェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
 貴君の意見には賛成しないが、それを主張する権利は全面的に支持しよう。
          ――イヴリン・ベアトリス・ホール
          『ヴォルテールの友人』(1906年)
(『ゴースト・スナイパージェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
 とくに江戸時代前期、幕府は江戸の地形改造を続けた。地形は改造すれば百万都市へと生まれ変わる特別のものだった。(中略)江戸城の本格的築城や海の埋め立て、玉川上水の建設、洪水対策などである。だが繰り返すが、そうした特徴を持った地形だとは、空から見でもしないとなかなか気づかない。高低差がほんのわずかの尾根が江戸城まで数十キロ続くことを発見し、そこに玉川上水を建設することなどはとくにそうである。家康がなぜ認知できたのか謎だとしか思えない。
 もし江戸がそうした地形だと分かっていれば、秀吉も家康に、江戸を根拠地とさせなかったのではないだろうか。秀吉は、城を攻める際に水攻めなど土木工事をよく行った。地形を見る目もかなりあったはずなのに、見抜けなかったようである。
(『地形で解ける! 東京の街の秘密50』内田宗治〈うちだ・むねはる〉)
 たしかに数量による認識・表現は「はかる」ことの重要な部分だが、そのすべてではない。マイケル・ポランニーは、言葉にできない知識を「暗黙知」と呼び、その重要性を説いた(『暗黙知の次元 』1966年)。知っている人の顔を無数の顔のなかから見分けることができるとか、水泳やスキーの技術などがその例である。(『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝〈さかがみ・たかし〉、後藤武編著)
 学者、物知りとは書物を読破した人のことだ。だが思想家、天才、世界に光をもたらし、人類の進歩をうながす人とは、世界という書物を直接読破した人のことだ。(『読書についてショーペンハウアー:鈴木芳子訳)
「子供たちは、その船の到着を心から待ちわびていました。まるで、自分たちを救い出すために、お伽の国からやってきた魔法の船のように思えたのです。子供たちは、陽明丸を見て歓声を上げ、はしゃぎ回りました」(『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』北室南苑〈きたむろ・なんえん〉)
 ラグビー日本代表の選手にアドバイスしていたときのことです。彼が「この良い感覚をどうしたら維持できるのでしょう?」と聞いてきたので、私は「良いも悪いも流すことですね」と答えました。
 流すと言ってイメージするのは川や水ではないでしょうか。例えば川の流れは、「この流れがいい」からといって、その一部分を切り取ることはできません。水を留めておこうと流れをせき止めれば、たちまち水は濁って腐っていき、もとの清らかな水とは程遠いものになってしまいます。
 つまり、何かに固執したり執着したりすることは、思考や行動をせき止めていることと同じなのです。
(『小関式 心とカラダのバランス・メソッド小関勲〈こせき・いさお〉)
 症状をコントロールできれば、ぜんそくはハンデにはなりません。私は、ぜんそくという持病があったことで金メダルを手にすることができました。ぜんそくの患者さんにも、ぜんそくであることがよかったという生き方をしてほしいのです。(『ぜんそく力 ぜんそくに勝つ100の新常識清水宏保
 18世紀まで、音楽とは基本的に生で聴くものだった。コンサート、オペラ、ダンスホール、バー。1800年代に入り、“業界”大手は楽譜の販売を始めた。人々は楽譜を買い、家に持ち帰って自分で演奏した。そのころの主流はピアノだった。その後――ありがとう、ミスター・エジソン――蝋管蓄音機が発明された。蝋に刻まれた溝をたどった針が振動して音楽を再生し、花のような形をしたスピーカーから流す。いつでも好きなときに家庭で音楽が聴ける時代の到来だ。(『シャドウ・ストーカージェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
「厳しいトレーニングをやっていると、なんか動物に近くなるような感覚があるんですよね。もしかしたら僕らのやっているトレーニングというのは、後天的に埋め込まれた価値観を削ぎ落とす作業なのかもしれない。現在の文明や文化というのは、本当に人間に必要なものなんですかね。トレーニングをしてだんだん五感が研ぎ澄まされていくと、これは多分、動物の感覚に近くなることなんでしょうけど、そうするとなんか、今の社会には余計なものが沢山あるような感じに思えるんですよね」(『神の肉体 清水宏保』吉井妙子)

清水宏保
 インドのデリー市郊外の世界遺産クトゥプ・ミナールに、紀元4世紀に仏教国のグプタ朝期に建てられた鉄柱がある。直径42cm、高さ地上7m、重さ約7tで約1mは地中に埋まっていと言われている。鉄の純度は99.72%で、約1600年経つがほとんど錆が進行していない。このような大きな鉄の構造物を作った当時の技術はどのようなものであったであろうか。(『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏)
Y●どうしてかっていうと、現象を計算過程として理解するってことが、科学だからさ。感覚や意識過程も例外じゃない。意識過程は、プログラムとして理解されることになる。でも、そのプログラムが、肉で、タンパク質で、できている。それって物質、モノだよね。そうすると、プログラム自身における、材料としての変質、摩耗(まもう)なんかが、計算過程に意味を持ってくると思うわけ。意識や感覚も計算過程なら、プログラム自身の物質的状態に応じて、感覚が、影響を受けると思うわけだよ。(『生きていることの科学 生命・意識のマテリアル郡司ペギオ幸夫
 東京の三鷹光器といえば、小企業ながら日本一の天体望遠鏡にはじまって、いまでは脳外科手術用の顕微鏡メーカーとして国際的にも知られているが、かつて世界ではじめて100万分の1ミリ精度の測定器を作ったことがある。ちょうどその開発中に訪問したわたしは、創業者の中村義一さんに「いまのところはばらつきが出て不安定なので、100万分の3ミリを達成と書いておいて下さい」と言われて、自分の原稿にその通り書いた。ところがその本が店頭に並ぶ前に、NHKのテレビ番組が、100万分の1ミリを達成と伝えたのでびっくりした。不安定の原因は測定器の水平を支える4本のねじのうちの1本に、かすかなガタがあるからだと判明したという。(「解説」小関智弘〈こせき・ともひろ〉)『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』ヴィトルト・リプチンスキ:春日井晶子訳