冬籠りの3ヵ月、ついに最後の日が来た。明治38年3月8日である。この日が、わが第二軍の最後の死闘の日となり、また日露戦争における陸戦の幕が閉じられる日ともなった。
3ヵ月の間、氷原の友とまっていた日露両軍は、突如として凄惨な死闘の鬼となって、広大な野戦を展開したのである。戦線は入り乱れ、随所に白兵戦が起り、伝令は杜絶え補給は断たれ、司令部の命令は、辛うじて師団に達しても、師団命令は第一線の諸部隊には伝わらなかった。連帯命令でさえが徹底せずに、随所に分散した小部隊は、敵兵と見れば出会い頭(がしら)に射ち合い、弾が尽きれば銃を構えて飛びこんでいった。誰が命令するわけでもないし、誰が督戦するわけでもない。敵か味方か、この二つしかなかった。そこには作戦もなければ戦略もなかった。
(『望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争』石光真清〈いしみつ・まきよ〉:石光真人〈いしみつ・まひと〉編)
日本近代史