とにもかくにも、謝罪外交は屈辱の極(きわ)みでした。若干(じゃっかん)の例を挙げてみましょう。古くは、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言した藤尾正行〈ふじお・まさゆき〉文部大臣は、ただちに罷免(ひめん)されました。奥野誠亮〈おくの・せいすけ〉国土庁長官は、国会で「日本に侵略の意図はなかった」と答弁したため、辞任に追い込まれました。最近では、「南京大虐殺はでっちあげ」と、事実を事実のとおりに表明した永野茂門〈ながの・しげと〉法務大臣が職を辞するに至りました。
 念を押して申しますが、これらの発言には、客観的な歴史認識として、いささかの間違いもないのです。すべて正当は観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビは、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。
 そのため政府は慌(あわ)てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を屈し、両手を突いて平伏しました。
 現在、こういう状況にあるわが国は、果たして真正(しんせい)の独立国家と言えるでしょうか。他国の言いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。
(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉)