南●坐禅をしていると音を聞いた瞬間に、自分の存在の全領域がぱっとわかってしまうときがある。聞くつもりがなくて聞いているという状態が非常に大事なです。普通、人は自己と他者、あるいは対象という意識の枠組みを前提にして、ものを聞いているわけです。聞こえた音に対して何の音か判断したくなる。けれど判断してそれで終わり。ところが、あることに気をとられて夢中になっている人は、対象を判断するという態勢にない。そこに突然パーンと音が響くと、存在の場全体が意識されることがある。それで、自己と他者というフレームはつくりものだということが一遍にわかっちゃう。(『
人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答』
茂木健一郎、
南直哉〈みなみ・じきさい〉)