「群れは意識をもつのか」という問いにおいて、群れを、神経細胞の群れと置き換えてみる。神経細胞の群れとは脳だ。意識は脳の産物であると誰もが思うものの、単独で培養される神経細胞は、意識や心の片鱗も見せない。ところが、千数百億の神経細胞が集団となったとき、そこには単なる集団を超えた「意識」が出現することになる。
 群れの場合に否定された集合的意識が、脳では逆に自明なもの、説明すべき問題となっている。ムクドリの群れの場合には全否定され、神経細胞の場合は全面的に肯定される。その違いは、集合的意識の存在に対する、素朴な信念だけではなかろうか。「神経細胞の集団は意識をもつ」が疑いもなく正しいと判断することと、「ムクドリの群れは一つの意識をもっている」が疑いもなく間違っていると判断することとは、コインの表裏を成している。いずれの判断も安易で、暴力的だ。
(『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序郡司ペギオ幸夫