政府案反対というより、政友会と通謀して若槻内閣打倒の陰謀をやっていた平沼、伊東の両枢密顧問官は、ニベもなく全会一致で、政府の緊急勅令を否定し、若槻内閣は総辞職してしまった。
 伊東巳代治が天皇親臨の席上で、御諮詢案と何にも関係がない、幣原外交に対して残酷なまで攻撃を加え、「知らぬは亭主ばかりなり」というような下品な悪罵を加えたのは有名であるが、のちのロンドン会議のさいといい、枢密院という奇怪な存在も『昭和のまちがい』の最大のものであった。
(『昭和のまちがい 新聞記者の昭和史岡田益吉

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