近衛が死の前に「黙」という字をつねに書いていたことは、かれの護衛役だった西郷隆秀近衛文麿の伝記を書こうとした政治学者の矢部貞治に語っている。
 近衛文麿は「黙」という字を書くことによって、自身に科(ママ)した沈黙の規則を守り、怒りを抑え、誘惑を断ち切り、自分を励まし、なにも明かすことなく死んだ。
 そしてかれが最後まで沈黙をつづけたがために、われわれの意識のなかで木戸ノーマン史観は揺るぎない存在となっているのである。
(『近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任鳥居民