この北清(ほくしん)事変において、欧米列強は日本軍の規律正しさに感嘆(かんたん)した。とりわけ彼らを驚かせたのは、日本軍だけが占領地域において略奪(りゃくだつ)行為を行わなかったという事実であった。北京でも上海でも連合軍は大規模な略奪を行ったが、日本軍だけは任務終了後ただちに帰国した。
救援軍の到着まで、北京の公使館区域が持ちこたえたのも日本人の活躍が大きかった。11ヵ国の公使館員を中心につくられた義勇軍(ぎゆうぐん)の中で、日本人義勇兵は柴五郎(しばごろう)中佐の指揮の下(もと)、最も勇敢にして見事な戦いぶりをみせた。事件を取材して『北京籠城』(ぺきんろうじょう)を書いたピーター・フレミングは、「柴中佐は、籠城中のどの士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞讃(しょうさん)の的になった」と書いている。列国の外交官やマスコミは日本軍の模範的行動を見て印象を一変させ、「同盟相手として信ずるに足りる国である」という親日的感情を抱いた。
(『読む年表 日本の歴史』渡部昇一)