少年はうす汚れていた。衣服は破れ、洗われておらず、そして彼の顔は攻撃的なほど鋭く、もの言いたげだった。誰も彼に笛の吹き方を教えなかったし、また誰もそうしようとはしなかった。彼は自分の力でそれを覚えたのである。そしてその映画音楽がころがり出たとき、その調べの純粋さは途方もないものだった。不思議にも、精神はその純粋さの上に浮かんだ。数歩進んでから、精神は木立を抜け、家々の上を通って海へと向かい続けた。その運動は、時間と空間の中にではなく、純粋さの中にあった。(『
生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』
J・クリシュナムルティ:大野純一訳)