「ふるさと」、つまり故郷とはどういう場所であろうか。私はごく簡単にこう考えている。そこは「呼べば応えるところ」だ、と。「呼べば応える」、たしかに、「ふるさと」では木の葉のざわめきも川のせせらぎもなにごとかを語っている。そこでは、村人たちが一つの共同体を構成し、互に依りあい助けあって生活しているだけではない。共同体の構成メンバーとしての村人とその周囲をとりかこむ自然とが呼応(こおう)し、融即(ゆうそく)しながら、きわめて濃密な風土的関連を保っているのである。いや、それだけではない。人と超自然(ちょうしぜん)とが互にその分を守りながら交感し、交流しあっている。「ふるさと」は自然と社会と精霊の世界とがそれぞれに対応し、呼応しあう生きた地域の単位なのである。(『
カミの誕生 原始宗教』
岩田慶治)