ただし神という文字は商王朝のときには存在しない。神とほぼおなじ意味をもつのは、申(しん)、という字であるが、申足と書けば雷光のごとき速さの足ということになる。神はかみなりのことであったと理解してよい。(『太公望宮城谷昌光