東大安田講堂封鎖解除警備が行われた1969(昭和44)年1月18日の前夜、真っ先に東大から逃げ出したのは、代々木(共産党)系の民青だった。(中略)
これに次いで脱出したのが、法文系1号館と2号館に籠城していた革マル派だった。今でも続く中核派と革マルの陰惨な内ゲバは、この東大紛争の裏切りから始まった。(中略)
念のため、東大安田講堂事件における逮捕学生の内訳を詳しく記すと、
安田講堂に籠城していた極左過激派 377名
この逮捕者のうち、東大生はたったの 20名
東大構内、工学部列品館、医学部など22カ所に籠城していた全共闘 256名
うち東大生はわずか 18名
【合計逮捕者 633名中 東大生 38名】
であった。
東大生はわずか6%で、あとの94%は東大全共闘を助けようと全国からはせ参じた“外人部隊”だった。外人部隊は最後まで愚直に戦い、逮捕され、前述のごとく人生を大きく狂わせてしまった。東大全共闘はその外人部隊を尻目に、前夜“敵前逃亡”していたのである。
(『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行)