フランスの政治批評家、アラン・ペールフィットは、かつて
毛沢東を評価して次のように述べたことがある。“中国人民は、毛沢東という人物を介して実は彼ら自身への自己愛を享受しているのだ。毛沢東が、中国人民を通して、実は自分自身を愛してきたのだとしても、無理はないというべきである”。かくして、
イデオロギーさえもが
遺伝子という隠れた主人には頭を下げているのである。この上なく高貴な諸々の衝動も、詳しく調べてゆくと、実は生物学的行為に姿を変えてしまうもののようである。(『
人間の本性について』
エドワード・O・ウィルソン:
岸由二訳)