これでみると、ことばとしては、身心脱落というのはごく平凡なことのようにみえる。それはそのとおりで、実はこの〈身心脱落〉なる語は、如浄の語録で見ると、1回だけしか出てこないが、そこでは「心塵脱落」(しんじんだつらく)と書いてある。(『古仏のまねび〈道元〉 仏教の思想11』高崎直道、梅原猛

道元