1940年は東南アジアにおける平和の最後の年であった。だがそれは植民地支配によるイギリス・オランダ・フランス・アメリカの平和であった。この地域の1億5000万近い住民のうちわずかに10パーセント、つまりシャム(前年にタイという古い国名にもう一度改称)の住民だけが外国の支配をまぬがれていたに過ぎない。東南アジアの他の地域ではどこでも現地人の主権は廃されていた。欧米の拡張の過程で土着の諸国は一掃されて、直接の植民地支配下に置かれるか、主権を剥奪されて植民帝国の最高権威に従属させられていた。こうして大英帝国はビルマ、マラヤと英領ボルネオの三つの領域に対して責任を負い、フランスは、行政的にはインドシナ連合に統合されたヴェトナム、ラオス諸州およびカンボジアを支配し、当時は東インドの名で知られた広大なインドネシア群島はオランダに支配され、フィリピンはアメリカに従属していた。最後にまた、ポルトガルがティモールの半分を領有していた。(『東南アジア現代史 植民地・戦争・独立』ヤン・M・プルヴィーア:長井信一監訳)