寒山〈かんざん〉は木の葉に詩を題した。が、その木の葉を集めることには余り熱心でもなかったようである。芭蕉もやはり木の葉のように、一千余句の俳諧は流転(るてん)に任(また)せたのではなかったであろうか? 少くとも芭蕉の心の奥にはいつもそういう心もちの潜んでいたのではなかったであろうか?(『芭蕉雑記・西方の人 他七篇』芥川龍之介)