死後に成長する作家、という言い方がある。埴谷雄高がドストエフスキーについてそう言っていた。これは本物の作家を遇するにふさわしい言い方だ。彼の存在あるいは作品が、死後もずっと長く、常により新しい現代的な問題を孕んで再生してくるからである。
 三島由紀夫がまさしくそういう作家であった、と私は思う。こういう作家は、第一に個性という以上のもの、天稟がなければならぬ。第二に時代と烈しく交錯しなければならぬ。彼は第一の資格を有し、第二の役割を見事に果たした。したがって彼の死後には、文学にも、いや広く日本の精神の領域にも、彼一身の分量の穴がポッカリと開いてしまった。その穴を誰も埋めることはできない。こういう作家、日本には稀である。
 彼の存在は、その死後、いよいよ多数の者によって呼び戻されている。(秋山駿〈あきやま・しゅん〉)
(『群像 日本の作家18 三島由紀夫』)