西洋で誕生したネジに日本人が初めて出会ったのは、種子島(たねがしま)に鉄砲が伝来したときのことであった。鉄砲の銃尾に使われていた鉄製ネジに、日本人は首をかしげるばかりだった。どうやってこんな部品を作れたのか。種子島の領主の種子島時尭(ときたか)は鍛冶職人の八板金兵衛に、ポルトガル人から贈られた火縄銃の模造を命じた。金兵衛は筒などは作ることができたが、銃便の尾栓(びせん)と呼ばれるネジの作り方がわからない。ボルトの役割を果たす雄ネジについてはなんとか作れても、ナットの役割を果たす銃尾の雌ネジの作り方は見当もつかなかった。言い伝えによれば、万策(ばんさく)つきた金兵衛は、娘をポルトガル人に嫁がせることでネジの作り方を学ばせようとした。そうしてネジの作り方をなんとか知った金兵衛は、鉄砲を完成させ藩主に献納することができたというのである。(『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦〈はしもと・たけひこ〉)