時代を決定し形成するのは、つねに活動的な少数である。赤や青年将校がそれをした。一般国民は左にも右にも過激派ではなく、社会の変化に対しては無色で、ただ受動的だった。それは表面の波の下の深い層として、たとえ封建的な性格をもっていたにしたところで、主動(ママ)的に歴史のあたらしい方向をきめたことはなかった。(『見て,感じて,考える竹山道雄