とすれば、ヒトがおたがいどうしを理解するのは、もともと脳の中にどういう内容が詰っているか、の問題ではなく(ヒトによって異なるに決まっている)、それが働く場合の「形式」の問題だ、といわざるを得ない。(『ヒトの見方養老孟司