「慎重に……」アフナーは言いよどんでから、「慎重に考えさせて下さい。ご返事には1週間の猶予をいただけないでしょうか」(中略)
 ザミール将軍は首を横にふった。「1日しか猶予がない。とくと考えたまえ。1日で決心をつけられない者は、いくら時間があっても決心がつけられないものだ」
(『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』ジョージ・ジョナス:新庄哲夫訳)

モサドイスラエル
 ここで、そのドイツと日本の食品の安全基準の違いを見てみよう。
「安全と証明できたものしか売ってはならない」ドイツでは、野菜も有機無農薬野菜が売られる。有害な食品添加物は使われない。
 ところが日本では「危険と証明できない限り売ってもよい」。このため、マウスに人間体重換算の添加物を投与してその毒性の限界値を判定し、その範囲内での添加物の使用を認めている。
(『マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実池田整治
 種はあいまいで、さまざまに変る境界を持っているのである。何がそれを種としているのかは、場合によって異なる。もしも種に全体を統一させる性質があるのならば、それが何であるのか、私たちにはわからない。何かに属するということは、何かのクラスに属するということであって、何らかの本質が存在するという証明ではない。ある意味でそれは一時的な状態であり、やり直し可能である。決して、永遠で必然的なものではないのだ。私たちが人間という種に属するのであれば、それは、私たちが何か特別な性質を持っているからではなく、私たちが、自分の系統にそのように線引きをするからなのである。(『人間の境界はどこにあるのだろう?フェリペ・フェルナンデス=アルメスト長谷川眞理子訳)

進化
 ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるかトーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)

認知科学科学と宗教
 なぜかというと、西洋医学で治らない病気がいっこうに減らないからです。医学は長足の進歩を遂げていますが、治せるようになったのは感染症がほとんどで、ガンとか心臓病、糖尿病などは治すのが難しいのです。(『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている村上和雄、棚次正和)

 あるときは意識してる。普段は全然意識してないけど、意識して止めようと思えば止められるでしょ。そういう意味では「呼吸」という行動はちょうど意識と無意識の境目にある不思議な行動だ。(『進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線池谷裕二

脳科学瞑想
 1952年に行なわれた乳がんの女性たちの精神分析でも、同じような結論が出ている。その女性たちは「怒り、攻撃性、敵意を放出したり、それらに適切に対処することができない(そうした感情は「感じのよさ」という仮面の下に隠されている)」ことがわかったのだ。研究者たちは、この患者たちの解消されていない葛藤は「否認と非現実的で自己犠牲的な行動」の形で現れると感じた。(『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ:伊藤はるみ訳)

ストレス病気
「物事のうわべしか見ない浅薄な人間は、狭い自我の殻の中に閉じこもって、他人の苦悩に対して感受性を持つことができません」ラヒリ・マハサヤ(『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ:SRF日本会員訳)

ヒンドゥー教
 つらい修業といったって何年もつづくわけではないのです。長い人生のうちにほんの5年か6年、あるいは7年か8年、こういう思いをするのは当たり前だし、私なんか6年ちょっとの修業のおかげで、それ以後、自分が生活をし、女房、子供を養い、さらに私のお袋まで背負っていけるわけですから。そして振り返ってみますと、つらかったなんていうことも、考えてみるとそれほど大したことではないのです。しかも、わずか6年ちょっとの修業で、死ぬまでの間、おまんまがいただけるなんていうのは、考えてみれば、ほんとに安い修業ですし、短い修業だったと思います。(中略)ですから、そういうことを考えますと、我慢をしたかしないかということの差が、その人のあとあとの人生の勝負にずいぶん影響をおよぼすんじゃないかと思うのです。(『神田鶴八鮨ばなし』師岡幸夫)
 街頭の消えた夜道を歩きながら、停電が始まったらヨーロッパ人はどうするかを考えてみた。
 イギリス人はまず、歴史年表で「大停電」の前例を調べるに違いない。ドイツ人はさっそく精密な「停電一覧表」を作る。フランス人は、自分の家の停電が長すぎるとわめき立てるだろう。イタリア人は、この機をのがさずガールフレンドの部屋にしのび込む。日本人は――まち中を走り回り、ロウソクを買い込むかもしれない。
(『深代惇郎エッセイ集深代惇郎
 細川(※潤次郎)のいうに「ドウしても政府においてただ捨てて置くという理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬ」と言うから、私は自分の説を主張して「誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何のことだ、人間が当り前の仕事をしているに何も不思議はない、車屋は車を挽(ひ)き豆腐屋は豆腐を拵(こしら)えて書生は書を読むというのは人間当り前の仕事をしているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンナことは一切止(よ)しなさい」と言って断ったことがある。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史
 兵とは詭道(きどう)なり。/戦争とは詭道――正常なやり方に反したしわざ――である。(『新訂 孫子金谷治訳注)

孫子
 本当に大組織化されていって、本当に問題が本質的なものになったときには、現場の知識の寄せ集めでは本質的な解決方法が出てきません。低い視点に縛られてしまって、局部的な場面でしか通用しない解決方法しか発想できません。それは真実のリーダーではないのです。(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション苫米地英人
 病み臥した人にそれをいうつもりはないが、臥床(がしょう)するまでに家族との関係をどう築いてきたかで、その後の長く重い介護期の色合いが決まるのではないかと思う。(『寝たきり婆あ猛語録門野晴子
 アンクル・ルーロンは推定75人の女性と結婚し、すくなくとも65人の子どもの父親になっている。妻の何人かは、14歳か15歳で結婚しているが、彼のほうは80代であった。100パーセント服従しなければならない、と彼はよく説教のなかで強調している。「私はあなた方にこう言いたい、あなた方が教授できる最大の自由は服従のなかにある、と。純粋な服従は純粋な信仰を生むのです」彼はそう説教する。(『信仰が人を殺すときジョン・クラカワー:佐宗鈴夫訳)

宗教モルモン教信仰
小林●ぼくら考えていると、だんだんわからなくなって来るようなことがありますね。現代人には考えることは、かならずわかることだと思っている傾向があるな。つまり考えることと計算することが同じになって来る傾向だな。計算というものはかならず答えがでる。だから考えれば答えは出(ママ)るのだ。答えが出なければ承知しない。(『対話 人間の建設小林秀雄岡潔
「ねえ、パレアナ、いまでは町じゅうがおまえといっしょにその遊びをしているんじゃないかと思うよ──牧師さんまでもね!(中略)町じゅうが前よりもおどろくほど幸福になっている──これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた一人の小さな子供のおかげなのだよ」(『少女パレアナエレナ・ポーター:村岡花子訳)
 日本で最初に西洋哲学の講義、「ヒロソヒ」の講義をしたのは西周(にし・あまね)であり、哲学という言葉も彼の造語である。彼は「ヒロソヒ」を「希哲学」と訳し、ソクラテスを「希哲学の開基とも謂(いふ)べき大人(たいじん)」と呼んだ。(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること小林秀雄
「お前、溜飲の下がる味合を知ってるかえ、今の中(うち)、じっとして、思う存分、踏んだり蹴ったりされていなくちあその味合がねえじあねえか、なあに、なにをどうされたって、高々20年か30年の辛抱だ、今にこの勝麟太郎があ奴らの足許から、いやっという程引っくり返して泣きべそをかかせてやるよ」(『勝海舟子母澤寛

勝海舟
 これに勢いをました身延山久遠寺は、寛永9~10年の全国寺院の本末帳提出の折には、日蓮宗すべての派の総括を行なうようとの命令を幕府から得た。一方、不受不施派の頭目と目された妙覚寺に対しては、きびしい探索を行なうとともに、寛永10年の段階でもまだ不受不施の思想を持っているかどうかを本末帳の中に1カ寺ごとに書き入れさせた。
 それからさらに、身延山久遠寺は幕府権力を背景にしつつ不受不施派の弾圧にのり出していった。その手口は、幕府の法要のたびごとに不受不施派の不参加を口実に上訴するということであった。また久遠寺は寛文7年(1667)に江戸ならびに武蔵国などその周辺の不受不施派寺院を調査し、幕府にその弾圧をしばしば要請している。その結果、幕府は不受不施派に対して改派をせまることになった。しかし江戸だけでも242カ寺という不受不施派寺院の勢力は依然根強く、多くの人々の信仰をあつめており、簡単にはいかないようであったが、寛文9年(1669)4月には、日蓮宗不受不施派寺院が寺請をすることを禁じている。さらに元禄4年(1691)不受不施派とともに悲田宗をも禁止している。このようにして完全に不受不施派は禁制されることになり、その後公的な形での布教活動は困難になった。
(『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登)

信仰
「この一件で、お前はひどい目にあうことになる、そのことを忘れるな」
 私が言った、「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ」外に出てドアを閉めた。また開けて中に首を突っ込んだ。「〈タフ〉という見出しの項にな」ドアを閉めて階段を下りた。
(『初秋ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 いくら独自なものが存在していても、それが他者によって受けとめられるのでなければ、神秘は生じない。
 独自なものだけがあっても、また見つめるまなざしだけがあっても、この神秘は生じない。
 神秘はいわば、【あいだ】にある。
(『吉田加南子詩集』吉田加南子)
 実際には、生物のいろいろな性質(「表現型」といいます)は、DNAだけで決まっているのではなく、環境と生物との相互作用の中で決定され、それが細胞分裂や世代を超えて維持されるのです。「生まれ」という基板が、「育ち」によって影響を受けながら、やがて固定的な表現型を生み出すと考えるのが、現在の生物学の常識となっています。エピジェネティクスは、そのような環境要因がDNAの使われ方にどう影響するか、ということを扱う学問なのです。(『エピゲノムと生命 DNAだけでない「遺伝」のしくみ』太田邦史)
 文字がふんだんに使われる社会とそうでない社会とでは、社会そのものの性質が違う。文字をもたない、あるいはまだ十分に用いない段階では、文字を必要とするような複雑で安定した制度を保てないから、社会の仕組みは単純で、ともすれば移ろいやすい。こうした社会では、制度のかわりに、しばしば壮大な建造物や魅力的な道具を用いた儀礼が人びと同士を結びつける役割を演じたり、服飾や持ち物が個人の地位や身分を明確に示したりする。文字不在のもとで、社会のまとまりや仕組みを保つ機能が、物質文化、すなわち道具や建造物に、より強く託されているのである。(『日本の歴史一 列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』松木武彦)

日本史
「どこかのレストランやホテルのロビーで彼を見かけても誰ひとりとしてそれがイサー・ハレルと気付く者はいないだろう。それほど外見は平凡な男だ。しかし、ひとたびあの青い目に見つめられると心の平静さを失わない人間はいない。にらまれただけですでに監獄に打ち込まれたような気持に陥ってしまう」(『モサド、その真実 世界最強のイスラエル諜報機関』落合信彦)

モサドイスラエル
 従来の知能テストは、子どもの知能の「現下の発達水準」を見るものです。そのため、子どもが自分一人で、独力で解いた解答を指標として評価します。そこでは、当然、他人の助けを借りて出した答えは、何の価値もないと見なされていました。
 ところが、ヴィゴツキーは、子どもの発達過程を真にダイナミックな姿としてとらえるためには、このような解答をこそ大切にしなければならないと考えたのです。
(『ヴィゴツキー入門』柴田吉松)

心理学
 それはまちがいなく咆哮そのものだった。戦(おのの)き震え、必死で助けを求める、極限的苦痛を嘗(な)めさせられた者にしか発せられぬ咆哮だった。その苦痛は人間にはもはや耐えられぬもので、喉(のど)から訴えられるのではなく、肉体自身、肉や骨や神経が訴えるのだ。苦痛はそれらを強いて、最後の死にものぐるいの絶叫を絞り出させるのだ。(「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』)
「無差別攻撃を受けて、サドルシティに住む私の友達は、3人が死に、2人が重症(ママ)を負った。デモクラシーとやらはどこにあるんだ?」(MFハイタム・タヘル)
アメリカは、バグダッドに自由を授けにきたと言っている。そんな嘘を、絶対に私は認めはしない」(セルマン)
(『蹴る群れ木村元彦

サッカー
 意識と脳の関係性は、「マインド・ボディ・プロブレム」と呼ばれる非常にやっかいな問題だ。今のところ、我々科学者には、物理化学的な神経系のはたらきと、主観的な私たちの意識感覚とのあいだをうまくつなぐような科学的な理論はない。意識の精神世界と、脳の物質世界とのあいだには、越えることのできそうにない巨大な谷がある。谷のこちら側には、物理の法則に従う、この宇宙で知られるかぎり最も複雑な器官である脳が存在する。そして谷のあちら側には、我々の経験、つまり、日々の生活で我々が見たり聞いたりするといった感覚や、恐怖不安欲望や愛、退屈さといった感情、つまり主観的な意識の世界がある。(『意識をめぐる冒険クリストフ・コッホ:土谷尚嗣、小畑史哉訳)
 進化論以前の比較解剖学の中でつくられた、相同という概念、基本設計の一致としてとらえられていた概念が、進化論が入った瞬間に、祖先を同じくする構造であると、定義が変わったわけです。(『解剖学個人授業養老孟司、南伸坊)
 マッカーサー元帥は2年半後、トルーマン大統領との意見が対立し罷免された。
 帰国したマッカーサーは、上院で、「第二次大戦は日本にとって自衛の戦争であった」とはっきり証言した。また彼は、トルーマン大統領と会見したとき、「東京裁判は誤りであった。あの裁判は戦争を防止するうえで何の役にも立たない」と告白している。
(『封印の昭和史 [戦後50年]自虐の終焉小室直樹渡部昇一

日本近代史
 5年ほど前、当時のソ連のミコヤン副首相と会ったときも、2時間ばかりのあいだに、人民解放の話が出ましたが、なごやかな話のふんいきのなかで、わたしは、あなたは人民を解放したといわれるが、日本の婦人解放をじっさいにやったのは、このわたしだ、と笑いながらいったものです。
 それはどういうわけか、とミコヤン氏がいうので、今日、日本の婦人たちは、台所にしばられていた以前にくらべて、遊ぶ時間ができ、本を読む時間をたくさんもつようになっているが、それは、わたしが家庭電気器具をずっとつくってきて、それを普及させたからだ、といったのです。するとミコヤン氏は、わたしの手をぐっとにぎって、おまえは資本家ではあるが、偉いといいました。
(『若さに贈る』松下幸之助)
 ある市場に入ってきている資金は、ほかのどこでも活用できる資金です。その資金には金利というコストがかかっています。そのコスト以上の利回りで運用されなければロスを出しているに等しいといえます。あるいは、インフレ上昇率以上の利回りが得られなければ目減りします。株式、債券市場の発行体も投資家もすべて自分が取ったリスクのリターンを欲しています。(『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ矢口新

為替
「ぼくらは、みんな、いつ気が狂ってもおかしくない状況にいた。民族主義者になることもファシストになることも、ここではたやすいことなんだ。だけど、けっしてそうはならない正常な精神が、サラエボにはまだ生きているということを示したいんだ」(『失われた思春期 祖国を追われた子どもたち サラエボからのメッセージ堅達京子
 自己を高めながら生涯を過ごしていければ、最高だ、と思う。近頃、おりにふれて感じるのは、人生の節目ごとに表情が明るくなっていって、最後に死ぬ時には笑っているような、そんな人間がいいな、ということだ。(入学考査・講演の感想文より 女子)『自由の森学園 その出発』遠藤豊

教育
 また、自閉症児は「対人関係を持たない」あるいは「持てない」ともいわれます。でも私は、これまでの臨床経験から、対人関係を持てないのではなく、対人関係を拒否するという形で彼らは人間関係を形成していると認識しています。
 たとえば、そばに誰か近づくと逃げるという行動をとる自閉症の子どもは、逆にいえば他人を意識しているがゆえに逃げる行動をとっていると私は考えています。
(『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか酒木保
 人は生まれるとき、自らの意志とは無関係に生を受ける。どこの世界や家庭に生まれるか、選択の余地はない。人生の始まりからしてそうなのだから、作為的に死を選ぶのは邪道であると私は考える。(『自殺死体の叫び上野正彦

自殺
 99年12月、タンクローリーが交差点で軽トラックと激突する交通事故が起こった。軽トラックは大破し、乗っている人が出てこなかったことからタンクローリー運転手は死亡事故を起こしたと思い込み、動転して約200メートル離れた鉄塔に上ってそこから飛び降り自殺した。しかし、実際には軽トラックの運転手に怪我はなく、無免許運転だったためその発覚を恐れて車外に出てこなかっただけのことだった。(『自殺のコスト雨宮処凛
「火のないところに煙を立たす策士も居る」(『時宗高橋克彦
時間のより深い次元」ということをやや唐突な形で述べたが、たとえて言うと次のようなことである。川や、あるいは海での水の流れを考えると、表面は速い速度で流れ、水がどんどん流れ去っている。しかしその底のほうの部分になると、流れのスピードは次第にゆったりしたものとなり、場合によってはほとんど動かない状態であったりする。これと同じようなことが、「時間」についても言えることがあるのではないだろうか。日々刻々と、あるいは瞬間瞬間に過ぎ去り、変化していく時間。この「カレンダー的な時間」の底に、もう少し深い時間の次元といったものが存在し、私たちの生はそうした時間の層によって意味を与えられている、とは考えられないだろうか?(『死生観を問いなおす広井良典
 拘置所、それは国家が在監者を拘禁し、戒護し、厳格な紀律にしたがわせる場所である。在監者の側からいえば、時空にわたっての、あらゆる自由が制限されるところである。囚人に残された最後の自由、生きることまでが制限されているのが死刑確定者なのである。(『死刑囚の記録』加賀乙彦)
 狂気は死者のみならず死そのものを経験するのである。(『死と狂気 死者の発見渡辺哲夫
 かつてアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェームズ(1842-1910)は、「我々は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」との考えを主張した。ほとんど同じ時期に、オランダの生理学者のカール・ランゲ(1834-1900)も同じことを言い出したので、「ジェームズ=ランゲ説」と呼ばれている。(『子供の「脳」は肌にある』山口創)
 多くの事例に当たってみると、そうした子のほとんどが、なんらかのかたちで「生活が勉強だけ」という期間を、しかも小学校時代から、かなり長く過ごしている。(中略)生活が勉強だけという日常は、とくに親に対して抵抗力を持たぬ小学生にとっては想像を絶する重圧であり、虐待である。そのような不断の虐待の末に、ようやく「勉強する生活に慣れて」、つまり適応させられ、改造されてゆく。
 これは一種の精神的「ロボトミー人間」ではないのか。(中略)だが、中学・高校とすすみ、体力も父親を越えるほどになったロボトミー人間が、あるとき突然目覚めたらどうなるか。「人生を返せ!」とは、ロボトミー人間が本来の人間に戻ったときの叫びなのだ。
「過保護」という言葉がよく使われる。しかし以上のような形での親の干渉(より広くは社会の干渉)は、むしろ子どもの多様な発展の可能性を刈りとって、一本のモノサシに合わせてしまうための「過虐待」であろう。となれば、家庭内暴力はその長い「過虐待」や「過干渉」に対する子供の側からの反撃であり、復讐と見ることもできる。まず直接的「加害者」としての親に対する復讐であり、結局はしかし、社会に対する復讐だ。
(『子供たちの復讐本多勝一
 われわれは弛緩の時代にいる。ぼくは時代の色彩のことを言っているのだ。(『こどもたちに語るポストモダン』ジャン=フランソワ・リオタール:菅啓次郎訳)
 結局、都市というのは、凡庸であることがひとつの才能と見なされるような場所なのだ。それどころか、凡庸は、都市生活者にとって唯一の有効な才能だ。なぜなら、都市という人間の集積場が、そこに集まる一人ひとりの個人に期待する個性は、不特定多数の他人と似ているということだけだからだ。(『山手線膝栗毛小田嶋隆
「否とよ、恋は路傍の花」(『三国志吉川英治
 この人生を生きていくうえに、人様の喜びを素直に手を取り合って喜び合うことのできない人生、人様の悲しみを悲しんでやることのできない人生、それはわらくず同然だと私は思います。生きていく甲斐のない人生だと思います。(『妻として母としての幸せ藤原てい

藤原正彦
 ロボトミーを開発したポルトガル人の医師エガス・モニスは「一部の精神病に対するロボトミーの治療効果の発見」により、1949年にノーベル賞を受けている。時代の流行というのは恐ろしい。今日ロボトミーは全く行われていない。(『やがて消えゆく我が身なら池田清彦
 一代前の教皇ヨハネ・パウロ1世(在位1978年、俗名アルピーノ・ルチャーニ)は、就任からわずか33日後に不審死を遂げ、〔プリヴァータ・イタリヤーナ銀行事件を起こした〕シンドーナは獄中で、青酸カリという〔リキュール〕の混じった、湯気の立つコーヒーで毒殺された。ほかに、未解決の殺人事件も起きていた。銀行家ロベルト・カルヴィがロンドンの黒人修道士(ブラックフライヤーズ)橋〔=テムズ川にかかる橋〕の下で、息絶えた状態で発見されたのである。
 こうしたスキャンダルが再発する事態はあってはならなかったし、もちろんいまもあってはならない。さもなければ、信者と神の声を広める教会との信頼関係にひびが入ってしまう。もしふたたび沈黙が破られたらどうなるだろう。「知らぬ存ぜぬ」という秘密厳守の態度と、内部の人間どうしの先入観がフィルターになって、いまのところは外から事実が見えにくいようになっている。もしその状況が変わり、バチカンによる経済活動の真実が一瞬でも明るみにでたら、どうなるだろうか。バチカンの役割と機能の正当性を問う声が高まり、イメージ回復にかかる代償は計り知れないものになるだろう。
(『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』ジャンルイージ・ヌッツイ:竹下・ルッジェリ・アンナ監訳、花本知子、鈴木真由美訳)

キリスト教
 わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。(『すばらしい新世界オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳)

ディストピア
 実はこのベン=ナメシェの本の一章にあるスパイ・プログラムが扱われているのだ。問題は、このプログラムが「トロヤの木馬」として世界中に売り出されていたことである。そのプログラムの名前は「プロミス」という。しかし市場でうられたときには異なる名前だったようだ。このプロミスは、関係書類は処理したり、報告書などの文書をデータベースに記憶させるソフトウエアだった。(『データ・マフィア 米国NSAとモサドによる国際的陰謀』E・R・コッホ、J・シュペルバー:佐藤恵子訳)
 最澄の父の名は三津首百枝(みつのおびともえ)と伝えられる。三津首浄足(きよたり)という名称が最澄の戸主として記録されているけれども、戸主が必ずしも父であったとはかぎらない。現在の資料ではこれ以上のことはわからないが、三津首家は後漢の孝献帝の子孫である登万貴王を祖先とする家柄であり、応神天皇の時代に来日し、近江国滋賀郡に定着した人々の子孫であろうと推測されている。(『最澄と空海 日本仏教思想の誕生立川武蔵

最澄空海
 20世紀のはじめには、選挙結果や野球の試合のスコアを聞くために、大都市の新聞社の外に群衆が集まるようになった。電信は軍事作戦でも重要な役割を果たした。はじめて使用されたのはクリミア戦争中の1854年、ヴァルナにおいてで、その後はアメリカ南北戦争でも使われている。エイブラハム・リンカーンは、戦場にいる軍隊をホワイトハウスから指揮することができた最初の合衆国大統領となった。電信が登場する以前には、大統領は遠くで行なわれる戦争の戦場報告を数日、ときには数週間も待ったのである。(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)

科学
発行銀行券」は、形式上では「負債の部」に計上されてはいるが、実質的には返済義務を伴わないので、負債ではないのだ。(『国債を刷れ! これがアベノミクスの核心だ廣宮孝信
 ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成は、その結論と同じくらい重要性をもつということだ。(『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて佐藤優

検察
 だから、マルクス・レーニン主義という顕教の面ではスターリン体制と切れているけれど、密教の面では連続しているわけです。つまり、実は、エリツィン時代、プーチン時代というのは、ユーラシア主義という密教においてスターリン時代と繋がっているんです。(『国家の崩壊佐藤優宮崎学
 どういうことかと言うと、中華人民共和国になってから略字を大幅にとり入れる文字改革が断行されましたよね。どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。ですから、中華人民共和国で標準的な教育を受けている人間は、戦前の文献、古代の文献が読めないんですよ。(『国家の自縛佐藤優

中国
(※スリランカ)政府が長年、貧民救済のためと膨大な補助金を出し、財政立て直しの邪魔をしてきた安い小麦粉は「米よりパンを好む金持ちのためよ、調べてごらん」と教えてくれたのも彼女だった。そのとおりの調査結果にアマ(※お母さん)の言葉を添えて提言したら、クマラトンガ大統領は、気付かなかった、恥ずかしい、ミエコのアマに礼を言うと、即時補助金廃止を決断した。その報告に「チャンドリカ(大統領)に、草の根を忘れてはいけない、いつでも私の家に泊めてあげるから、と言ってあげなさい」と、淡々としたアマだった。(『国をつくるという仕事西水美恵子
 いくら目隠しをされても己は向く方へ向く。
 いくら廻されても針は天極をさす。(「詩人」)
高村光太郎詩集高村光太郎

詩歌
 そうとも、その匂いにとらわれるとき、彼を愛せずにいられないのだ。自分と同じ人間として受け入れるだけでなく、狂ったように愛しだす。忘我のきわみに陥るだろう。よろこびにふるえ、陶酔の声をはりあげ、泣き出しさえするだろう。(『香水 ある人殺しの物語パトリック・ジュースキント池内紀訳)
 魂までが凍てついたとしても、
 その先にあるのは破滅ではない。
 命の炎はしっかりと燃えている。
(『荒野の庭』言葉、写真、作庭 丸山健二
(※米・英・露と和親条約を結んだ日本の、国内における擾乱を予想しつつ)
「こういうときにわたしたちはどうしたらよいでしょう、教えていただきたいのです」
「学問に身を入れるのです」
「いえ、いつ擾乱(じょうらん)が起こるかもわからないこの時代を、見て見ぬ振りはできません」
「だから学問をするのです」
「は?」
「力をつけるのです。世の中はこれから大きく変わっていくでしょう、かならず福沢でなければならないということがある。そのときにすぐ役立つためには力をつけておかねばなりません。さらにいうなら、世の中を動かしていく福沢になってほしい。そのために力をつけなさい」
「はい」
「この塾は全精力を注ぎ込んで、一途に学問するところです。勉強は君がするのです」
(『洪庵塾の人々』池上義一)

福澤諭吉
 いまでは、チョムスキーの提起したさまざまな問題を研究する学者の数が、何千人にも達している。チョムスキーは、人文科学分野でしばしばその言が引用される人物トップテンに(ヘーゲル、キケロを抜き、マルクス、レーニン、シェークスピア、聖書、アリストテレス、プラトン、フロイトに次ぐ8位)入っている。しかも、トップテンでただ一人、存命中だ。(『言語を生みだす本能』スティーブン・ピンカー:椋田直子訳)
 もとより記憶とは、自身の内部(なか)に懐かしく立ち現れる、かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在(いま)を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわっていく心の領域のことだと思うからである。(『犬の記憶森山大道〈もりやま・だいどう〉)
 教条主義のもとでは、教条の正しさの過大評価、教条の適応範囲の過大な解釈(たとえば、物理現象を宗教的原理で説明するなど)、教条の異なる他者への不寛容や加罰傾向が生じる。(『権威主義の正体岡本浩一

権威
 一局終わると体重が2~3キロ減ってしまう。頭を使っていると水分をどんどん取られていくようで体重が落ちてしまうのだ。(『決断力羽生善治

将棋
 被疑者は密室である取調室に閉じ込められてしまうと、心理的に追い詰められてゆく。人間というものは生きている限り、他者とのかかわりのなかにいる。平素はそのことの重大性に気づかないが、法的強制によってそういうかかわりから遮断されると、心の安定性を失い不安でたまらなくなる。妻はこの事態をどう受け止め、どのように処しているのか、子供にはどう説明したのだろうか。同僚は、両親は、親戚は、近所の人は……。
 被疑者は多くの場合、この心理的重圧のなかで自供に追い込まれてゆく。
(『警官汚職読売新聞大阪社会部
 私がよく聞いていようといまいと、母の話は止まらなかった。「種は木から生まれて、やがて木になるわ。種が種であるのは一時的なことでしかないのよ。種から木へ移り変わるのだから、なぜ種であることにとらわれるのかしら? 同じように、私たち人間それぞれも個別性を持っているけれど、その個別性は一時的なものでしかないのよ。私たちの個別性は実際とは違って見かけだけかもしれないわ。坊やは、私がいなかったら存在するかしら? あなたが食べている食べ物なしに存在するかしら? 自分が座っている地面なしに存在するかしら? 私たちの個別性は実際には他者に依存しているのよ。個別性は他者とは分けられないものなの」
 母は無学だったが、ジャイナ教の文学の多くの歌や詩、韻文を諳(そら)んじていた。
(『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳)
 縁起という思想は釈迦の時代からあったが、空の思想は原始仏教、部派仏教においてはそれほど大きな存在ではなかった。無我思想、非我思想というのは実質的には空の思想と同じ意味を持っているものであり、そういう意味では大きな思想であったが、竜樹までは縁起ということと空ということは違う流れとして伝えられてきた。竜樹は歴史的には別であった二つの思想を結びつけたのである。(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ立川武蔵

仏教
 しかし、授業の中で子どもが集中するちからをもっているというのは、可能性としてもっているので、教師がきびしく授業を組織するのに成功するときだけ、それは引き出されて現前する。(中略)子どもが集中する力をもっているということは、集中すべき対象があるときには集中するということで、それは同時に、その対象が欠けているときには、とめどもなく散乱する。どうしようもなく散乱するということなのです。それがすなわち子どもが集中する力をもつということなのです。集中すべき対象が欠けているときでも、「集中」しているというのはウソです。にせものです。行儀よくしていることと集中していることとは全く別の事です。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと林竹二

教育
 インドにしても中国にしてもそうですが、それまで大英帝国に対抗できるような国はアジアに存在しないと考えられていました。それを日本がものの見事にやってのけた。その衝撃と影響は東南アジアから中東にまで及んでいるのです。それは米英からみれば、日本ほど恐ろしい国はないということになります。日本を二度と立ち上がれないように封じ込めなければならない、と。そして日本の敗戦後、ただちに大日本帝国を五つに分割し、日本を断罪するための極東軍事裁判(東京裁判)を開きました。(『この国を呪縛する歴史問題菅沼光弘
野口●僕の言うことはいつも結論が出せないんです。唯未決定論ですね。本書にも書きましたが、唯情報論は言い換えれば、唯差異論、唯変化論、唯流動論、唯関係論……和語で言えば、唯こと論です。「こと」というのは漢字をあてはめるとわかりやすいです。言葉の言(こと)、事柄の事(こと)、事実の事(こと)、異なるの異(こと)、殊にの殊(こと)、和語ではこれらの意味すべてをひっくるめて「こと」と言っています。和語はそういうふうに意味の範囲が広い。「ことば」という言葉は、このような「こと(差異)」の端を全体から抽き出して名づけたものだと言えるでしょう。(『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三)
そしてまたこの息 ――息、消える、呼吸するために。呼吸、そして消える。――この息、まさにこの瞬間、詩が持つであろうことば、詩が持つようにおもわれることば、とどめられたことばを見て、わたしたちがわたしたちの終わりが遂げられた、と考える、その瞬間のなかに。(『デュブーシェ詩集 1950-1979』アンドレ・デュブーシェ:吉田加南子訳)
 私の基本的な考え方は、あなたがトレードしているのは市場ではなく、あなたがトレードできるのはマーケットについてあなたが信じていることだけであるということだ。(『新版 魔術師たちの心理学 トレードで生計を立てる秘訣と心構えバン・K・タープ