私がよく聞いていようといまいと、母の話は止まらなかった。「種は木から生まれて、やがて木になるわ。種が種であるのは一時的なことでしかないのよ。種から木へ移り変わるのだから、なぜ種であることにとらわれるのかしら? 同じように、私たち人間それぞれも個別性を持っているけれど、その個別性は一時的なものでしかないのよ。私たちの個別性は実際とは違って見かけだけかもしれないわ。坊やは、私がいなかったら存在するかしら? あなたが食べている食べ物なしに存在するかしら? 自分が座っている地面なしに存在するかしら? 私たちの個別性は実際には他者に依存しているのよ。個別性は他者とは分けられないものなの」
 母は無学だったが、ジャイナ教の文学の多くの歌や詩、韻文を諳(そら)んじていた。
(『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳)