しかし、授業の中で子どもが集中するちからをもっているというのは、可能性としてもっているので、教師がきびしく授業を組織するのに成功するときだけ、それは引き出されて現前する。(中略)子どもが集中する力をもっているということは、集中すべき対象があるときには集中するということで、それは同時に、その対象が欠けているときには、とめどもなく散乱する。どうしようもなく散乱するということなのです。それがすなわち子どもが集中する力をもつということなのです。集中すべき対象が欠けているときでも、「集中」しているというのはウソです。にせものです。行儀よくしていることと集中していることとは全く別の事です。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』林竹二)
教育