そういう意味で人間は「言葉する存在」です。
その言葉は、世界を切り取って名付けていく単語つまり語彙と、文体(スタイル)からなり、これらのあり方が人間の思考を決定づけています。文体というのは語彙を載せる船のようなもので、その船が思考の枠組みとして、あるいは文化として一番大きな力を持っています。われわれはその船を離れて思考することはできません。思考や行動は具体的な言語のなかに微粒子的に存在し、これと一体のもので、自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません。またこのことは、人間の歴史が、言葉(語彙と文体)から離れられず、したがって言葉の枠組が変われば、歴史もまた異なった姿であらわれる事実を意味します。
(『漢字がつくった東アジア』石川九楊)