鎌倉仏教のなかで、
法然と
親鸞は他力の信仰を求めて生き、
道元と
日蓮は自力の修行に打ちこんだ。法然と親鸞とは、この世の価値を究極的に否定し、道元と日蓮は、あの世の実在を否定した。同じ鎌倉仏教と呼ばれる宗教から、どうしてこうもちがった考え方が選びだされたのであろうか。そのひとつの重大な理由は、法然、親鸞が乱世に際会し、道元、日蓮が鎌倉政権安定後に活躍した、という歴史的背景の差異に求められる。乱世は人間に無力をさとらせ、治世は人間に努力の意義を呼びさますからである。(『
鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』
戸頃重基)