あらゆる人間が、建設的で心暖まる話しか話題にしないような、そんな世の中が理想だと考える連中がいるのは仕方がないにしても、すべての人間にそうしたふるまいを強要する権利は誰にもないはずだ。
言うまでもないことだが、この世の中には、人間がした行為を裁く法律はあっても、人間がアタマの中で考えていることを裁く法律はない。
ところが、今回の事件を通じて、あなたがた(と、ついに二人称を使いはじめる)がしようとしたことは、ミヤザキ(※宮崎勤)の行為をではなく、ミヤザキの生活姿勢や性格や家庭環境を裁くことであり、彼のアタマの中味を裁くことだった。
ということはつまり、我々(いっそ、一人称を使うことにしましょう)は、ミヤザキのみならず、人間一般の「孤独」を裁こうとしたということなのだ。
(『安全太郎の夜』小田嶋隆)