鄧氏の声には芯(しん)がある。強い信念をもっているということである。多少の冷たさを含(ふく)んでいるのは、家の内と外に甘い顔ばかりをむけて生きてこなかったあかしであり、ときに非情になって難件を処理したにちがいない。しかしながら、声の質には卑(いや)しさがなく、また尊大さもない。
 ――妄(うそ)が寡(すく)ない声だ。
 と、劉秀は直感した。
(『草原の風宮城谷昌光