しかし現実には、工業化のための前提条件は、当時すでに十分に満たされていたのである。国を開いた19世紀半ばには、日本には貧富の極端な差はなく、富は広く分配されていた。また手工業の教育訓練を受け、学習意欲のある、というより学習熱に取りつかれた若者がたくさんいた。見事に運営された学校制度があった。総人口との比率で比較すると、ほとんどすべてのヨーロッパ諸国よりも多くの人たちが読み書きができた。
数世紀前から国内市場が栄え、見事に張り巡らされた交通網と、それに付随する道路、運河、船の航路といった産業基盤も完備していた。資金は、贅沢を第一に考える人たち、ではなく、投資事業に意欲を持った人たちの懐の中にあった。
(『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏訳)
日本近代史