電話を切って私を見るとき、彼女の顔はあの表情をうかべている。ほかのひとたちがそれをどう名づけているか知らないが、私はそれを、“私は本物よ”的表情と名づけている。ということは彼女は本物で、いつも答えを知っていて、私のほうはそれより劣る人間で完全に本物とはいえない、診察室の椅子のぶつぶつした布地の感触をスラックスを通して感じることができてもだ。私はいつも尻の下に雑誌を敷いておくが、そんなことをする必要はないと彼女は言う。彼女は、自分は本物だと思っている、だから私に必要なことも必要でないことも知っている。(『
くらやみの速さはどれくらい』
エリザベス・ムーン:
小尾芙佐訳)