書物を読みはじめたころ、私は東洋という語に心を惹かれた。岡倉天心の『東洋の理想』や、前田利鎌の『宗教的人間』、久松真一の『東洋的無』などに触発されたものであろうが、しかし私の内にある東洋は、岡倉のようにインドを含むものではなく、また前田、久松のように禅に傾くものでもない。もっと一般的な生活の中にある東洋、東洋のもつ美意識、節度というべきものを、その生活に即して考えてゆきたい。そこに真実の東洋があるという考えであった。
それはたとえば、わが国の『万葉集』と、中国の古代歌謡である『詩経』の表現に見られる東洋的な自然観、その自然の中に息づく生活の節度というべきものに見出される。
(『回思九十年』白川静)