児玉はこの壮行会(※モスクワに赴く河野一郎農林大臣を送り出すパーティ。1956年9月31日)に出席した親分たちを中心とする「やくざ軍団」を、日米安保保障条約改定と、アメリカ大統領アイゼンハワー訪日に反対するデモ隊の鎮圧に動員しようとした。このとき、岸総理は自衛隊の出動も断られ、警視庁にも匙を投げられていた。公権力が動けないなかで、岸が唯一頼りとしたのは、児玉率いる「やくざ軍団」だった。(『児玉誉士夫 巨魁の昭和史有馬哲夫

児玉誉士夫