嘉永6年6月9日、いよいよペリーが久里浜に上陸するというので、アメリカ軍艦は砲門を開いて祝砲を放ちました。その殷々轟々(いんいんごうごう)たる響に驚いて、久里浜の漁民はすわ戦争だと仰天し、夜具包や仏壇などを背負い出して、山手の方に逃げまどっております。(『米英東亜侵略史』)『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く佐藤優

日本近代史