近衛はしばしばその弱い性格を云々(うんぬん)された。宇垣一成(うがきかずしげ)は近衛の伝記を書いた矢部貞治(やべていじ)に、「近衛公は聡明で気持がよいが、知恵が余って胆力と決断力がなかった。知恵は人から借りられるが、度胸は人から借りられない」と語ったという。近衛自身もその事を意識していた。だからこそ近衛が強いものにあこがれていたということもいえるのである。昭和13年に社会大衆党の西尾末広(にしおすえひろ)議員が近衛に対して「もっと大胆に、日本の進むべき道はこれであると、ムッソリーニの如く、ヒットラーの如く、或はスターリンの如く、大胆に日本の進むべき道を進むべきであります」と激励し、そのスターリンの一語によって議員を除名されたが、近衛が、昭和12年4月、次女温子の結婚前日自宅で催された仮装パーティの際ヒットラーの仮装をつけたというのは、極めて興味深いエピソードといわねばならないだろう。(『大政翼賛会への道 近衛新体制』伊藤隆)
近衛文麿/日本近代史