72年末には中村はトリオを抜け、新たにアルトサックス奏者の坂田明(1945~)が加入した。中村の「初めて日本語と接した外国人の耳に聴こえる日本語のモノマネ」は、その後タモリによって受け継がれ、やがて坂田明が「ハナモゲラ語」と命名、さらなる発展を見る。このときにはすでに上京していたタモリも加わり、仲間が集まるたびに、相撲中継だの料理教室だのあらゆるものをハナモゲラ語化しては大騒ぎした。(『タモリと戦後ニッポン』近藤正高)