ナチスドイツの諜報機関ほど謎に包まれ、十分に理解されていない諜報機関はあまりない。頭文字をとってアプヴェーアと呼ばれるドイツ国防軍情報部は、嘘偽りと、相容れない事実のベールで覆い隠されている。これはかなりの部分が、ドイツのスパイマスターのなかでもひときわ抜きん出ていた一人の人物、1935年1月から1944年3月まで国防軍情報部の長官をつとめたヴィルヘルム・カナリス提督に起因する。カナリスは当初ヒトラーの熱烈な支持者だったが、第二次世界大戦が進むにつれてナチスに幻滅するようになった。彼は、総統のために忠実なスパイマスターの役割を演じようとする一方で、敵に対しては、わずかながらでも礼儀正しく接し続けようとした。それどころか、ほとんと活動を停止していたものの常に存在し続けていたドイツの反体制運動を支持していたのである。ヒトラーの壮大な野望を実現しようとした組織、ほかならぬドイツ国防軍が、同時にヒトラー抵抗勢力の源ともなっていたことは、第三帝国の摩訶不思議なるパラドックスの一つであった。ドイツ国防軍の中でも、情報部ほど強烈にヒトラー政権に反対を唱え、さまざまな階級に共謀者を抱えていた組織はほかにない。最終的に、カナリスとその忠実な部下のほとんどは、命を代償にしてヒトラーに抵抗した。(『ヒトラーのスパイたち』クリステル・ヨルゲンセン:大槻敦子訳)
独裁者ヒトラーの率いるナチス・ドイツが国民の健康に異常なほどに気を配る政権だったことはあまり知られていない。ヒトラーは菜食主義者でアルコールもタバコも嫌悪していた。世界の中で最も行政が力を入れた禁煙運動はナチスが展開したものに他ならなかった。ヒトラー・ユーゲントというナチスの青少年組織では「栄養摂取は個人の問題ではない!」とのスローガンが手帳に記載され、バランスのとれた、健康的な食事をするように士道されていた。(『「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義』岩田温〈いわた・あつし〉)
ナチス・ドイツでは、労働者の環境が整えられ、医療、厚生、娯楽などは、当時の先進国の水準をはるかに超えていた。
国民には定期的にがん検診が行なわれ、一定規模の企業には、医者の常駐が義務づけられた。禁煙運動や、メタボリック対策、有害食品の制限などもすでに始められていた。
労働者は、休日には観劇や乗馬などを楽しむことができた。また毎月わずかな積み立てをしていれば、バカンスには豪華客船で海外旅行をすることもできた。
思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類(たぐい)まれなる手腕の持ち主ということになるだろう。
(『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘)
世界恐慌
国民には定期的にがん検診が行なわれ、一定規模の企業には、医者の常駐が義務づけられた。禁煙運動や、メタボリック対策、有害食品の制限などもすでに始められていた。
労働者は、休日には観劇や乗馬などを楽しむことができた。また毎月わずかな積み立てをしていれば、バカンスには豪華客船で海外旅行をすることもできた。
思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類(たぐい)まれなる手腕の持ち主ということになるだろう。
(『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘)
世界恐慌
「このように、最高の頭脳がシステム化して結合する。それが未来の支配のかたちだ。ひとつの意志がここから全国民を動かすのだ。それが人間の頭脳であろうと、頭脳のような機械であろうと、やることは同じだ」(『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉)
ヒトラー
ヒトラー
20世紀の半ば、ナチスとソ連の政権は、ヨーロッパの中央部でおよそ1400万人を殺害した。犠牲者が死亡した地域――流血地帯(ブラッドランド)――は、ポーランド中央部からウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、ロシア西部へと広がっている。(中略)1400万人が殺されたのは、ヒトラーとスターリンの双方が政権を握っていた1933年から45年までのわずか12年という短い期間のことだ。(『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』ティモシー・スナイダー:布施由紀子訳)
「それは激化ということだ。“二つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、ひじょうに多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。
一方は、すべてを操り、従える者。他方は、知らず識(し)らずのうちに、すべてを操られ、従わされる者たち。しかも進むのはそれだけじゃない」
(『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉)
ヒトラー
一方は、すべてを操り、従える者。他方は、知らず識(し)らずのうちに、すべてを操られ、従わされる者たち。しかも進むのはそれだけじゃない」
(『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉)
ヒトラー
ここでイタリアのファシズムとドイツのナチズムを区別することが重要だ。アドルフ・ヒトラーによって展開されたナチズムは、ドイツ人を中心とする優秀なアーリア人種が他の人種を淘汰(とうた)していくという荒唐無稽(むけい)な神話によってつくられていた。
これに対してファシズムは、自由主義的な資本主義によって生じる格差拡大、貧困問題、失業問題などを国家の介入によって是正するというかなり知的に高度な操作を必要とする運動だった。この場合、資本主義制度には手をつけない。マルクス主義的な社会主義革命を避けて、国家機能を強化することによって資本主義の危機を切り抜けようとする運動だった。1930年代にムッソリーニ統帥がヒトラー総統と本格的提携を始めるまでは、イタリア・ファシズムに反ユダヤ主義的要素は稀薄(きはく)だった。
(『テロリズムの罠』佐藤優)
これに対してファシズムは、自由主義的な資本主義によって生じる格差拡大、貧困問題、失業問題などを国家の介入によって是正するというかなり知的に高度な操作を必要とする運動だった。この場合、資本主義制度には手をつけない。マルクス主義的な社会主義革命を避けて、国家機能を強化することによって資本主義の危機を切り抜けようとする運動だった。1930年代にムッソリーニ統帥がヒトラー総統と本格的提携を始めるまでは、イタリア・ファシズムに反ユダヤ主義的要素は稀薄(きはく)だった。
(『テロリズムの罠』佐藤優)
ヒトラーとユダヤ系銀行の交渉は、値段で折り合いがつかずに失敗し、ヒトラーはユダヤ人問題に対して、もうひとつの「解決」を実行することにした。それがユダヤ人絶滅策である。(『新版 リウスのパレスチナ問題入門』エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳)
パレスチナ
パレスチナ
マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山、黒木、乃木、東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
竹山は戦前も戦中も戦後も反専制主義の自由を尊ぶスタンスを一貫して変えなかった。それは竹山に知識と知力と自信と勇気があったからこそ可能だったのだと思う。戦時中には反軍部、反ヒトラーの見方を孤独な胸に秘めていたが、その見方が正しかったことが、戦後も反スターリン、反毛沢東という立場を、自信をもって、貫かせたのであろう。そしてそのために、日本の傾向的な論壇では竹山は時には「時流に反して」いかにも孤立した存在に見えた。しかしそれでも日本には竹山のような人の発言を許容する言論の自由はまがりなりにも存したのである。そしてそんな竹山を支持した寡黙な人々もいたのである。(『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘)
竹山道雄
竹山道雄
竹山道雄は児童文学の作者である以上に戦後論壇では一大知識人として群を抜く存在感があった。
そんな竹山は左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和11)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾(だんがい)し、そしてそれと同じように敗戦後は、反米共産主義、反人民主義で一貫した。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。
(『戦後の精神史』平川祐弘)
そんな竹山は左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和11)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾(だんがい)し、そしてそれと同じように敗戦後は、反米共産主義、反人民主義で一貫した。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。
(『戦後の精神史』平川祐弘)
「石原莞爾」
という名には、さまざまなイメージが錯綜する。
一方の評価として、満州事変をひきおこすことで、日本を戦争へと導いた、戦争犯罪人の一人だとするものがある。
他方には、世界の趨勢にさきがけて、軍備の放棄をよびかけた平和主義の先駆だという見方もある。
20倍にのぼる敵軍を壊滅させた天才的な戦略家である、とも云われ、狡猾な陰謀家とも評されている。
霊的な資質をもった予言者とよばれると同時に、世界史の終焉を結論した精緻な理論家ともみなされている。
近代文明のダイナミズムを信じた国家主義者であり、コスミックな感性から都市文明の解体を宣言したユートピア主義者でもあった。
皇室を尊奉する帝国軍人であると同時に、日本という国家を超える理想と正義のヴィジョンを持っていた。
ある歴史家は、日本においてヒトラーやムッソリーニに匹敵するただ一人のカリスマだと云い、晩年身近に接した婦人は、さながら菩薩のような温容だったと語る。これらの要素のすべてが、いくらかは石原莞爾に該当している。
(『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』福田和也)
という名には、さまざまなイメージが錯綜する。
一方の評価として、満州事変をひきおこすことで、日本を戦争へと導いた、戦争犯罪人の一人だとするものがある。
他方には、世界の趨勢にさきがけて、軍備の放棄をよびかけた平和主義の先駆だという見方もある。
20倍にのぼる敵軍を壊滅させた天才的な戦略家である、とも云われ、狡猾な陰謀家とも評されている。
霊的な資質をもった予言者とよばれると同時に、世界史の終焉を結論した精緻な理論家ともみなされている。
近代文明のダイナミズムを信じた国家主義者であり、コスミックな感性から都市文明の解体を宣言したユートピア主義者でもあった。
皇室を尊奉する帝国軍人であると同時に、日本という国家を超える理想と正義のヴィジョンを持っていた。
ある歴史家は、日本においてヒトラーやムッソリーニに匹敵するただ一人のカリスマだと云い、晩年身近に接した婦人は、さながら菩薩のような温容だったと語る。これらの要素のすべてが、いくらかは石原莞爾に該当している。
(『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』福田和也)
国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー:鈴木主税訳)
メディア/プロパガンダ
メディア/プロパガンダ
プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出だせば、ナポレオンやヒトラー、スターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。(『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳)
20世紀の一大惨劇が「共産主義国家の勃興と崩壊」のドラマであったことは周知のこととなった。そして最大の悲劇といえば、ひとしく「社会主義者」の名を冠した3人の政治家、ヒトラー、スターリン、毛沢東の独裁政治によって、数千万の多くの無辜の人々が殺されたことである。しかし歴史家としていわせてもらえば、それらに隠されているのが、隠れ「社会主義者」であったルーズベルトの下での蛮行である。そのひとつは、日本を戦争に引きずり込むことによって、日本を「社会主義化」しようとしたことである。それは広島、長崎への原爆投下を伴っていた。ここ20年のアメリカ国立文書館から公開された資料はそのことを示している。(『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』田中英道)
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