本来、書とは「かく」。したがって、鑿(のみ)で「掻く」もしくは「欠く」「画く」ものでした。その「刻(ほ)る」姿を、筆で「書く」ことの中に写し込むことによって本格的な毛筆の書が生まれたという経緯が中国書史にはありました。ところが、そうした「刻」から「書」が生まれた深みを、日本の書史は最初から見失っているのです。ちなみに現行の日本銀行券の文字がすべて隷書体で記されているのは、明治維新以降の近代になってようやく中国の「刻る書」を本格的に学習、導入したことに由来します。(『
説き語り日本書史』
石川九楊)