日本の知的営みは、時の権力者の意向によって、指導・監査あるいは禁止されたりしてきた。日本の司法に対する概念や社会における法律の地位・扱いは、統治者の都合のよいように変えられ、彼ら自身の振る舞いや統治方法に決定的な影響を与えることはなかった。したがって、集団生活、会社・集団への忠誠、協調的な傾向、個人主義の欠如、なきに等しい訴訟闘争など、日本の社会や文化の典型的な側面とされている事柄は、究極的には、政治的方策に起因するものであり、政治的な目的のために維持されているのである。
“多元的国家論”のモデルとなった国ぐにの権力者と異なり、日本の権力保持者は組織的に権力を行使する。その方法と目的を、有権者は究極的になんら制御(コントロール)できないのである。
(『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン)