日本の歴史を少しかじったものとして私は知っていた。日本において、多く勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神とまつり、その葬られた前代の支配者の霊の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題であることを。私はここに日本の神まつりのもっとも根本的な意味があると思っていた。(『隠された十字架 法隆寺論梅原猛